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枯れた技術の水平思考
>ゲーム&ウオッチは、5年早く出そうと思ったら10万円の機械になっていた。
そんなの売れるはずがないから「出さない」になるんじゃないかな
> 量産効果でどんどん安くなって、3800円になった。それでヒットしたわけです。
>
> これを、私は"枯れた技術の水平思考"と呼んでいます。
>
> 技術者というのは自分の技術をひけらかしたいものだから、最先端技術を使うということを夢に描いてしまい、売れない商品、高い商品ができてしまう。
高いと売れないと考えた。これは大衆娯楽だから
ブランドは高くても売る方法を持っている
あるいは、ブランドを買う人はそこに価値を見出す
> 値段が下がるまで、待つ。つまり、その技術が枯れるのを待つ。枯れた技術を水平に考えていく。
コモディティになった商品を使う
つまり10年ぐらい前の技術を使うってことかな?
> 垂直に考えたら、電卓、電卓のまま終わってしまう。そこを水平に考えたら何ができるか。
電卓の技術で遊べないかな?ということ
> そういう利用方法を考えれば、いろいろアイディアというものが出てくるのではないか。
>
> 横井軍平・著 『横井軍平ゲーム館』 (アスキー 1997年)


>岩田
> そもそも当時は、プログラマーと企画者とハード技術者は
> いまほど職制が明確に分かれていなかったんですよね。
> 出石
> その通りです。
> 岩田
> だから、ハード技術者として入ってきた人でも、
> プログラムも書いたし、アイデアも出したし、
> 場合によっては工作もしたし(笑)。
> 山本
> はい。工作もしました。
> それに最後は量産の段取りまで担当しました。
> 出石
> さらに、最終的には
> コマーシャル撮りにも行きました(笑)。

>山本
> そうです。わたしが配属されたときは
> 『ブロック崩し』の開発が終わったあとで、
> 「次に何をつくろうか?」という話になって、
> 新しいゲームの試作品をつくったりしていました。
> 製品化の際には、LSIをつくるために
> 必要なマスクパターンを手描きで設計していました。
>
> 岩田
> 当時は、ゲーム機にはコンピュータが使われていなかったので、
> プログラムを書くのではなく、ハードで遊びを実現されていたんですよね。
>
> 山本
> 当時はコンピュータが一般的ではなかったですから。
>
> 出石
> 当時のゲームは
> ハード屋さんがつくっていたんです。
>
> 岩田
> ひとつのゲームのために
> それ専用のハードをつくっていたんですね。
>
>出石
> だから、ハード屋さんが
> 「ここのスピードはもっと速くしたい」と思ったら、
> はんだごてを持ってきて配線を変えたりしていました。
> それをみんなで遊んでもらって、
> 「う~ん、もうちょっとかな」とか言いながら
> 延々と調整する作業を繰り返し、
> 「これでいこう!」となってから量産に入っていたんです。


>岩田
>(略)
>ちなみに、人づてにお聞きした話なんですが、
> そもそもゲーム&ウオッチが誕生することになったのは
> 横井(軍平)さん(※9)が新幹線のなかで
> 電卓で遊んでいる人を見たのがキッカケだったとか。
>
> 当時、みなさんは横井さんからどのようなことを言われて
> ゲーム&ウオッチの開発がはじまったのですか?
>
> 加納
> いや、そのあたりの経緯については
> 残念ながらよくわからないんです。
> わたしがクリエイティブ課から開発一部に呼ばれて
> ゲーム&ウオッチに関わりはじめたのは、
> 第1弾の『ボール』の途中からのことで、
> その時点で、横井さんと岡田(智)さん(※10)たちが
> すでに試作品をつくっていましたから・・・。
>(略)
>でも、横井さんが
> 電卓からインスピレーションを得たのは
> 間違いないと思います。
>
>出石
> というのも、ゲーム&ウオッチで採用したチップは、
> 電卓で使われているのと同じものだったんです。
> そもそも電卓のディスプレイのひとつの数字は
> 7セグメントで表示されるようになっていまして・・・。
このあとセグメントの節約の工夫の話が続く