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実力も運のうち 能力主義は正義か?
>ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。
>しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか。
>解説/本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)
> すべての人に 平等に機会が与えられるなら 勝者が得た勝利は その人にふさわしいというものです これが 能力主義が掲げる理想の本質です
> アイビーリーグの大学ではアメリカで収入が上位1%の家庭出身の学生の数が下位50%の家庭出身の学生を全員合わせたよりも多いのです
>能力主義の理想そのものに不備があります 負の側面があるのです 能力主義は公益を むしばみます
>成功者は過度に成功に酔い 成功途上でのツキや幸運を 忘れてしまいます そして自分よりも運に恵まれなかった人や 資格面で劣る人を 見下すのです
>これは政治においても問題です 大衆の反発の強力な源泉の一つは 多くの労働者が持っている感覚で エリート層に見下されているというものです このような不満を抱くのも当然です
> グローバル化が不平等を深め 賃金の停滞を招いたときに グローバル化の支持者は 労働者に もっともらしい助言をしました
>「グローバル経済の中で 競争して勝ちたかったら 大学へ行きなさい」
>大学に行かなければ 新しい経済で成功しなければ 失敗は自己責任です これが隠された意味です
>たいていの人が 4年制大学の学位を持たないことです それどころか アメリカでは 3分の2近くの人が持っていません ですから 大学の卒業証書を 立派な仕事や まともな生活の 必要条件とするような経済を構築するなど 愚かなことなのです
>人々に大学への進学を 勧めることは よいことです 金銭的に余裕のない人でも 大学に進学できるようにすることは さらに よいことです しかし これは不平等の解決策ではありません
>ロバート・ケネディは 半世紀前に次のように言い表しています
>「仲間意識 コミュニティ 共通の愛国心 これらの必要不可欠な価値観は 単にモノを一緒に購買し消費することによって 生まれるのではない
> 適切な賃金での尊厳のある雇用によって 生まれるのである
> それは被雇用者が 『私は この国の建設を手助けした 私は壮大な公益事業の参加者なのだ』 と言えるような雇用である」
>私たちは ある人が稼ぐお金を その人の公益への貢献の尺度として とらえることがよくあります しかし これは間違いです
>その理由を キング牧師が 説明してくれています 牧師が暗殺される少し前に起きた — テネシー州メンフィスでの 清掃作業員によるストライキを顧みて キング牧師は言いました 「私たちのごみを収集してくれる人は 突き詰めて考えると 医師と同じくらい重要です なぜなら もし彼が仕事をしなかったら 病気が蔓延するからです 仕事は すべて尊いのです」
>「あなたの個人的な話を教えてもらえますか。あなたが学校や大学で頑張って努力する理由は何だと思いますか?実力主義の競争に勝ちたいという気持ちが、あなたのモチベーションになっていると思いますか?」