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天気の子(2019)
副題:Wethering With You
見たところ: 映画館
前情報・予告を見ずに見た
感想は「俺たちの新海誠が帰ってきた(意訳」だけ見た。正直期待は高まった。


委員長同時視聴


ネタバレがあります。みてない人は今すぐチケットを買って劇場でみてください!!!

他の人の感想
この感想が最高に面白かった。テキストサイト全盛期か?
過去作と、新海監督がギャルゲーのOPなどをやっていた時代の作品、00年代のギャルゲーの世界観を前提として天気の子を読み解く。これを読むと天気の子は周回前提の泣きゲーのアニメ版(陽菜ルート Trueエンド)であることがわかる
でもこの読み解きは強すぎるので、本編見る前に読むことはおすすめしない
なんか、自分もPC版の原作やったことある気がする……!という気がしてきてしまうので

感想
天気の子は、「世界を取るか?目の前の女の子を取るか?」という話だ
この構造自体は東浩紀の定義するセカイ系というワードによってつけられている。00年代のアニメやギャルゲーの作品にもよくみられた
>インターネット上で流通した「セカイ系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは2004年の頃からだとされているが、これ以降はインターネット外でも様々に論じられるようになる。その際、盛んに参照されたのは、サブカルチャーを論じる評論家として注目を集めていた東浩紀を中心に発刊された『波状言論 美少女ゲームの臨界点』編集部注によるもので、それによればセカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた
この用語は人によって使い方がブレている
本稿では、2000年代の流行った作品とその空気を指す意味で使う
新海誠本人はそういうジャンルを意識しているわけではないらしい
>僕の仕事でいえば「天気の子はなぜセカイ系で云々」とか言われると「いや単に実感で描くとそうなるんだよ!」と言いたくなるのですが笑
本作においても、帆高と陽菜の関係が日本の終わり(経済的損失が全然計算できないレベル)に直結する
評価分かれそうとはいえ、確実に万人が口に入れることのできるエンタメ
入った後に吐き出す人はいそう
監督Twitterを見ていると意図してそうしている、狙い所の一つっぽい
古参ファンが喜んでいるツイートを見ていたので、正直もっとえぐってくるのかと心の準備をしていたので、若干の肩透かし感はあった
裏を返せば、食べやすかった。おすすめ。これをみた後に言の葉の庭もみてくれ!頼む!!
主人公たちの選択が最も議論を呼びそうなところ。自分はハッピーエンドだと感じた。こちらのほうが、ずっといい
陽菜が母親を強く思わなければ人柱になる能力は得ることができなかった
陽菜が帆高を思わなければ晴れることはなかったし、そのあとで陽菜が帆高を陽菜を強く思わなければ取り戻すこともできなかった
帆高と陽菜の関係性がなかったら、そもそも雨はずっと降っていただろうから、その点もエクスキューズになっている
帆高に陽菜を追いかけるなと誰がいえるのか?俺は言えない(オタク早口)
晴れ間があると娘と会えた須賀は気の毒だが……。
原作の夏美ルートだと、同情した夏美が匿ってくれたあと一夜を過ごし、陽菜がいなくなったことを後から知って、夏美と一緒に陽菜を探してビルの屋上に行ってみても、寂れた社があるだけで、陽菜の姿はないんだよね。その夏は、それまでが嘘みたいに記録的な猛暑を記録する。連日うだるような暑さの中で夏美と帆高は次第に日常を取り戻して、結局取り調べをうけることになって離れ離れになっちゃってさ、数年後に東京に戻ってくると夏美は他の男と結婚してるっていう(大嘘)
中高生の時に見たら、ハッピーエンドと言わなかったかもしれない
エゴなんだよね
でも生きるのってそもそもエゴじゃないっすか?という気持ちが今はある。別に誰も悪くないが、悪いものを一つ強いて挙げるなら二人を止められなかったセカイが悪い
今は、もしそういう選択をする中高生がいたら、犠牲になる側として送り出してあげたい(後方保護者目線)
https://mainichi.jp/articles/20190723/k00/00m/040/210000c という記事が制作サイドから出る程度には議論があるようだ
見終わった後に「新海誠の元カノ」(過去の作品を知る俺じゃなきゃ理解できないね、みたいなことを言う人)になる人を観測していたが、たしかに君の名は以前の新海監督の残り香を感じた
注:自分は君の名はも好きです。そこから初めて入ったファンにも見て欲しいです「なんか古参っぽいオタクが喜んでるから怖いんだけど」みたいな意見を見つけたので。新海オタクは結果として喜んでいるけど、映画自体は10代に向けた映画だと思います。それって自分が10代のときからずっと変わっていないようにも思います。
映像は作るごとに確実に成長していて、「すごいのに、もっとすごくなるのか!」と感動した
2Dアニメの映像としての凄みはどんどん上がっている
劇場の音響がよかった
音の定位感が高く、耳元で鈴の音がなっているようだった。周囲を見回してしまった
バニラの求人で笑い、歌舞伎町の注意喚起放送と映像の力で猥雑な街の感じが一瞬で出るのすごい
バス乗車シーンで都バスの広告のカットここか〜〜!ってなった
映像は抜群に良い。これが映像作家か
夜の繁華街
濡れた路面
水たまりに弾ける雨粒
花火の背動
昼の雨
言の葉の庭と見比べたい
言の葉の庭といえば最後の踊り場はセルフオマージュなのだろうか?
目を細めてしまうようなかんかん照り
坂は田端駅らしい
今回は君の名は以上のファンタジーに感じたが、嘘をつくためにリアリティを高めるための工夫が毎度ながら沢山施されている
小物の描写が徹底的
シビアな現実
欠けた家族と擬似家族
帆高の家族は欠けてないが登場しない
帆高の親は姿形もない。帆高が東京に出てきた理由もめちゃくちゃ強いものにはみている人は感じられない。帆高自身は強く帰りたくないとかんじているが、戻された後には普通に生活をしている
帆高は2つの家族と擬似家族をする
命を助けられたがどう考えてもロクでもない大人である須賀と、その愛人(と帆高は勘違いしているが実は姪)の夏美と3人での生活
東京に出て、3人で日々の仕事をしていく。ネカフェに寝泊まりしていた帆高に帰る場所ができる。給料はほぼないけど
須賀は婚約者を亡くしている。喘息持ちの娘がいるが、母方の家に娘がいて、会わせてもらえない
夏美はどういう家庭環境なのか語られることはない。後半になるとリクスーで就活をはじめる(大学生?)
親をなくし弟と2人だけで住んでいる陽菜と凪。児童相談所の人が来ているのでそろそろ施設に入れられそう。この3人との生活
(この辺りのシーンでは須賀が大人としてでばれないのかなと思った)
3人で晴れの日をつくるアルバイトをする。帆高は陽菜が好きなので、だんだんK&Aプランニングのバイトはサボりがちになる
陽菜の家での料理シーンはぐっときた
内装(背景美術)
陽菜の家は、小さくて古くさく、貧乏なように見えるけど、綺麗に飾り付けられていることがわかる
光物の自作の小物での飾り付けや布で明るめの空間を作ったり
ネギなどの野菜を育てたりして節約しつつ料理に華を出す工夫
ポテトチップスやチキンラーメンのようなお菓子を料理にいつも使っていることがわかる描写
ちょっと量多すぎでは?とは思ったけど、美味しそう
ローソンがタイアップして売ってるらしい
実在のプロダクト、街並み(タイアップたくさん)
Yahoo!知恵袋
McDonald
Twitter
バイトル
Mac/iPad
iPadで志望動機を書く大学生、リアルだ
都市
おそらくほとんど実際にあるところ。何度か出る象徴的な坂は田端駅らしいし、須賀が嫁母(おばあちゃん?)と会うカフェは銀座の和光ビル向かいだ。新海作品を見ていると、東京在住の若者が羨ましくなる
ラブホテル
いい部屋は高いな…
飯がチープでリアル(当然取材してる)
こういうシーンでもからあげクンとか出していいんだなあ
PC版では三人で寝るところで儚いエッチCGが入る(大嘘)
いらすとやが使われていた
凪が児童相談所(?)で面談するシーンの背景とか
凪が小学生なのに女の子をはべらせたりする笑いどころがいくつかあるのだが、周りにリアクションが大きい人がいたので自分が笑うよりもそっちが気になってしまった
「師匠!」と仰ぐシーンと師匠初回エンカウントが一番笑えたかも
昨今の情勢もあるけど、男子中学生的なお色気要素は何度かあった。自分は好きなのでありがとうと思いながら見た。帆高くんもみてたでしょ!
現実感のない、謎の胡散臭い男須賀と、ちょっとエッチな年上のお姉さんと自分の創造の上をいく体験に勤しむあたりは主人公の体験している情報量をかんじられて良かった
須賀のキャラ造形
須賀がラストシーンで雰囲気で説得しつつ、力づくで戻そうとするあたりの描写も嫌らしくて好き。ここはかなり大人に描かれている
そのあと結局帆高に共感してしまい、自分に重ねて大人になりきれないところを見せてくるのだが……
「他人より自分だろ」と、帆高に金を渡して住処を追い出した大人とは思えないぐらい青い
擬似家族は2つあったので、帆高はもう一つの家族と逃げる
視聴者ぼく「逃げるって……たかだか5万円程度しか金がない未成年がどこに?」
K&Aの労働?条件は終わってるけど、そもそもK&Aはカツカツに見える
須賀のような「世間をわかってる大人」のような男性キャラクターは新海作品には珍しい
「一人犠牲になって世界が救われるなら、みんなそっち選ぶでしょ」ってサラッと言わすための人
当たり前の価値観を提示する役割。この対抗意見が結末を際立たせる
しかも、須賀自身は、上記のような考えに基づき一般人的な行動をするが、帆高の思いに共感していることに自分で気づかなかったり、最後気づいて逸脱した行動をする
小説版ではこの辺りの内面の変化が書かれていると嬉しいな(未読)
君の名は。の2人、特にヒロインはわざとらしく出た
視聴者が「まさか」と思うぐらい十分な間があった(笑)
拳銃を捨てた時、最後のような感じになる伏線だと思ったら、そういう拾われ方をしたので予想が当たって満足した
セカイ系という単語を思い出した。自分と相手の周りに世間はなくて、突然世界と繋がる。相手を助けるか、セカイが滅ぶか
ナレーションがそれっぽい
公式の動画でもかなり触れてる
「ライ麦畑でつかまえて」も当時流行ったよな(読んだ)
カブでクラウンは撒けない……
線路走ってたら現場のおっちゃんに捕まりそう
やっぱ走りはいいよね。走れー!
時をかける少女の走りとか、思いして頭を駆け巡る
強く願っても、犠牲を払って廃ビルの屋上にいっても「何もない」というオチでも自分は受け入れられたが、あった。救いがとてもあるのは、君の名はを感じた。
昔の自分だったらモヤモヤしたかもしれないが、今はこれでいいと思えた。あの子たちが幸せならそれでいい。自分がもし横にいたら、背中を押してあげたい。何もきにやむことはないのだと。
「僕たちに何も足さないでください。何も引かないでください。ずっとこのまま」(注:セリフはこのままではない)
このままを願っても、どんな形であれ、このままではいられないんだよなとセンチな気分になりました
絶対陽菜がAV/IV撮影される薄い本出るよね
‪帆高が悔しがるNTR本が出る
夏コミまでもう少しだけど描く人いそう
序盤に薄い本が厚くなる展開がある。作家は思いついたら描きたくなる生き物なので締め切り地獄な人は見ない方がいいかもしれないw‬
15歳なので未成年と知らなかったと言っても児童ポルノなので逃走はリアリティがある
つーかお前子持ちかよ!
リアリティの足し引き
リーゼント刑事はリアリティマイナス
でも帆高に露骨にめんどくさがったりするシーンや、直後の「(精神)鑑定が必要ですかね?」もリアリティプラス
背景美術
天井画などを山本二三さんが描いていた
初代プリキュアなっつ

映画とは直接関係ない感想
Twitterでオタクが騒いでる場外乱闘が面白い


サントラ流しながら考えたこと
大丈夫は後半の帆高からみた陽菜を歌っているように聞こえる
ここにも「世界」という言葉が出てくる
グランドエスケープ



インタビューを読むオタク
> 30代に作っていた初期の作品の頃、あの時の自分が見たかったのは、どちらかというと内省的な主人公だったし、少なくとも僕の周りにいるお客さんたちが見たいのは、そういう方向じゃないか(略)2010年代に少しずつ変わってきたという感覚があります
>「Weathering With You」は「君と一緒に乗り越える」というタイトルです
>お米を食べて幸せとか、神社があるとなんとなくお参りしてしまうとか、そういう感覚は多分、この国に生まれた人の多くが否応なしに共有していることだと思うので。そこをもう少し掘っていきたいという気持ちはありますね。