大震災の記憶も7年
災害があると、ここから下に家を建てるな、というような石碑がたてられる
でもすぐとっちゃう
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静岡新聞の元記事は消えている
不安につながるのは「正しい効果」
当時の仙台の殿様 伊達政宗(44)
復興事業は製塩業
>地震後には、津波で浸水した場所を塩田として開発し、製塩業という復興事業を進めました。塩釜(塩竈)をはじめ、仙台周辺には、「塩」や「釜」がつく地名が沿岸部に沢山あります。
>仙台市内には、浪分神社(仙台市若林区)や浪切不動堂(仙台市宮城野区)など、いかにも津波の到達地点を示すような名前のお不動さんがあります。そこより陸には津波を遡上させないぞと、不動像が海を睨みつけているのでしょうか。
浪分神社
>宮城県の仙台市若林区に、海岸から約5.5キロ離れた場所に1702年に建立された「浪分神社」がある。この名称は、この周辺で津波が二手に分かれて引いていったことを示すと伝えられている。同じく宮城県の七ヶ浜町の菖蒲田浜(しょうぶたはま)には、招又(まねきまた)という名称の高台がある。この地名は、避難した人たちが「こっちさ来い」と手招きしたことから付いたと伝えられている。
拡大
国土地理院が提供している東日本大震災当時の浸水の地図を見ると、このあたりまで浸水している
波が分かれている