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利己的な活動が他人のためになる
ニュースを読む時に、自分なりに噛み砕いたり裏採りをする
そのメモを公開することは他人の調査コストを低減することで、正しい情報が行き渡る小さな力になる

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仮に誇張表現が流れてきたとして、訂正モチベーションは低い
訂正しても一文にもならない(金銭的なインセンティブはない)
釣りタイトルはあまりにも一般化していて、いちいち指摘してもキリがない(学習性無気力、時間のなさ)
例外的に、コミュニティに全体の奉仕者がいるときは訂正される(精神的なインセンティブで駆動)
こうして誇張表現に感情がコントロールされることになる

訂正の難しさ:ファクトチェックやうらどりは調査コストが高い

調べ物は第一義的には利己的に、自分のためにやるものだ
それを公開することで誰かのためになる「かもしれない」

例:プログラマーのコミュニティでは、調べたことをQiitaなどにまとめてシェアされたりしている
この調査した情報は直接金になるわけではない

直接金になることをしようとすると、耳目を集めることがKPIになるので多くの人は誇張表現をすることになるだろう
ごく一部の人は深い専門性を切り売りできるだろう

個人ができるマネタイズ手法が隆盛になると、受け手としては誇張表現をさっ引いてきくのをデフォルトにする必要がある。
それは結局、
情報ソースの多元化をして裏どりをする
勉強をしておいて、原理上不可能なことを言っているようなあからさまな嘘を見抜く
ことになる。このとき自分のメモは作るはずだ。それを公開することは、きっと誰かの役に立つ。たぶん。

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