口だけの学びはただのポーズ
>彼が〆切を1ヶ月間違えていてチームを窮地に追いこんだときに「この失敗を学びにして」と口にしていたのを思い出しながら「学びといっていれば多少は免責されると思ってない?」と尋ねた。軽い気持ちで尋ねた。まさか、そんなことはないだろうと思っていた。だがそのときまで引っかっかることなく答えていた彼が、そのときだけ、妙な間をつくった。図星かよ。「ありません。深く反省し、失敗を無駄にしないようにしているつもりです」「今回の学びは?」ふたたび間。「……部長に、もう少し監督をしっかりしてもらう、ですか」きっつー。学ぶのはこちらだそうです。
>一年前とまったく変わらない背中が遠ざかっていく。あの学びはポーズではないか?その疑いは開けっ放しにされたドアによって確信へと変わっていった。人生とは学びにもならない無駄の蓄積なのである。
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自分も
学びの加速スキルとか書いちゃうくらい学び厨であるので、気をつけたいと思った記事
「すいません」と誤ったら自分の過失になりそうだから、「勉強になりました」と言って何とか過失だけでなく前に進めようと転化している
でもそれは他人にやってもらったほうがよくて、いつも自分で失敗するたびの「学びになった」と言っては失敗を繰り返すやつは 口だけの学び野郎と思われても仕方ない
プロセスだけ大事にして結果を出さない人は意味がないのと同じ
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自分も結果という結果を出せてない・・・
フィールドを変えたほうがいいのかなぁ・・・と思ってしまう