2022-11-19 Sat : ボージョレ・ヌーヴォー解禁記念バラちらし
今日の生活
朝起きて、体調が戻ってきたことを実感しておおよろこびした。
副反応を克服して完全な生命体になった。
復活ッッ。うれしくて朝から
お散歩に出る。ずっと家の中にこもっていると気が滅入ってくるタイプ。
ここらがまだ
黒磯市だった時代に設置されたであろう
マンホールを見つけた。こういうのって、市町村の合併や再編のタイミングで「すべて取り替えだ!」とはならないのかな。取り替えようと思ったら対応コストがかかるから次の交換の時期まで放置、みたいな運用?
ぼくに元気をくれる友人が、中学・高校時代にはいじめにあっていた、というような話をたまたま知る機会がある。今日もそういうことがあって。静かな怒りが湧き上がってくるような感触。閉鎖的な空間には大きなデメリットがあって、学びの場としての学校はもうちょっとどうにかならんもんかねぇ、とよく思う。
ワインの解禁記念で
ちらし寿司を売ろうとするのおもしろい感じがする。おいしいものならなんでもオッケー、という勢いを感じるぜ。商業をばんばんやっていく気概。
「ボージョレ」より「ボジョレー」が優勢
「ヌーヴォー」より「ヌーボー」が優勢
「
博多まどか」はご当地 VTuber っぽい。福岡に住んでいる友人からもらったお土産です。おいしかった。
今日のウェブログ
超相対性理論の「弱さを探索する」の一連を聴いた。おもしろかった〜。絶望派のトークが出てきたときは笑っちゃったな。
「強い・弱い」には複数の軸があるってのはぼくもそう思っていて、ある人のある特性が、状況によって「強さ」にも「弱さ」にもなりうると思っている。たとえば「握力が強い」くらいのシンプルな話であれば、ひとつの数直線上に各個人の握力の数値を並べて「この人は強い」「この人は弱い」を論じることはむつかしくないだろう。けれども、現実世界で言及される対象はそんなにシンプルじゃない。複雑だ。
「仕事のできない人」ってラベリングが好きじゃなくて、これが「仕事のできる人」というポジティブな文脈で使われるラベリングだとしてもやっぱり苦手。仕事というものがひとつの数直線を描けるようにシンプルであると誤解を助長させる物言いだと思っている。ある人は、ある仕事においては能力を活かして活躍できるけれど、別の仕事においてはうまくいかない、そんなマッチングがあるだけだと思っている。おおいに環境の問題を含むのに、すべての責任を個人に求めるような「仕事のできない人」というラベリングが怖い。
同様に「つよつよ / よわよわ」という形容にも抵抗感がある。人間を対象になにかしらのラベルを貼り付けることに慎重でありたいのかもしれない。家族や友人との雑談でこのような物言いをするときは自分にもあるが、社会的に、慎重になった方がいい行為だと自分は捉えていそうだ。
自己責任論に直結しそうなのが怖いのかな〜。
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>この地名は1889年(明治22年)に町村制施行に伴い谷津村、久々田(読み方くくだ、くぐた)村、鷺沼村、藤崎村、大久保新田の旧来からの5ヶ村が合併したことに由来し、中核となった谷津、久々田、鷺沼の3ヶ村から一文字ずつ取ったものである。
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