2022-09-21 Wed : それでもうまい米を食べに行く
今日の暮らし
6:29 のアラームでいったん起きてトイレに行ったあと、お布団に戻って
二度寝して 9:00 過ぎまで寝ていた。寒くなってきたからかな、朝にピッと起きられないことが増えつつある気がする。どうかね。
2022-09-11、
2022-09-13 の続報。飲食店から郵便物が届いてお金も戻ってきた。おもしろいのは文面で、大和田家としては「不愉快な思い」はしていないし「従業員の教育を徹底し」てほしいとも思っていないのだけれど、そういうものとして話が進んでしまう。文面はとても丁寧だけれど対話はあまり成立していなくて、ちょっぴり悲しい気分。対応に不満はなくて、なんだったらこんな書面もなくていいと思っているものの、先方の「丁寧な書面があった方がいい」という考えと対話の成立具合にギャップを感じてもどかしい気分。
従業員の教育の徹底、怒鳴りつけるとか小言を突きつけるとかだったらイヤだなあ。仕組みの整備を望んでいる。
昨日か一昨日に「
それでもステーキの
白米がうまい」という話を妻としていた。ぼくは味のわからない人間なのでどこでなにを食べてもだいたい「おいしい」という感想に着地するのだけれど、妻いわく、那須塩原の暮らしの中で食べる
白米の中でも
それでもステーキの
白米はトップクラスにおいしいらしい。
そんな会話の影響か、行きたくなったのでひさしぶりに行ってきた。肉も米もおいしかったよ。大満足。「ここの
白米がおいしくて」と告げたらマスターがうれしそうにトークを始めて、いっぱい笑っちゃったな。おもしろ空間。
今日の健康
ソーシャルメディアを眺めるときのウッとなり具合がますますひどくなってきて、ここ数日は「ほとんど見ない」という運用に収束しつつある。Twitter との間にもだいぶ距離ができてきたなあ。おもしろツイートは好きなんだけどな、あまりにもカジュアルに人々の怒りの感情が視界に入ってきてしまう。
今日は
お散歩をたくさんやって、他の運動はおやすみになった。
今日のウェブログ
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>記事では「いつも誰かに「支えられている」彼女たちが、“自分”のためではなく、“誰か”のために「支える」ことこそが、生きる力に繋がるのかもしれない」と結んでますけど、これは本当に考えさせられますよね。
寿命の中でも
幸福寿命や
健康寿命に興味があって、毎日を楽しく生きるヒントを見つけたいと思っている。「
推し活」っておもしろいなあ。どうも自分は「
推す」「
推し」についてピンときていないような感触で、人生のどこかのタイミングで
推しが見つかったりするのだろうか、とぼんやり考えながら過ごしている。特定の対象としての「人間」に傾倒しないタイプなのかなあ。
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おもしろい文章だった。
Ethereum は周辺のあれこれを含めてやっぱりおもしろいな、と思う。
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「サブスクが憎い!」は心情としてはわからなくはないが、ぼくの中では「
ハンコがなくなったらハンコ職人は困る」「等倍速で再生してもらわないとクリエイタは困る」あたりと同じカテゴリの話に分類されていそう。
「
生演奏」を生業にしていた人からしたら「
音楽を記録したものを売るなんてとんでもない!」となっていたかもしれなくて、
音楽文化にとって CD が特別によいものってわけでもないだろうしなあ。文化の話として読むときと、音楽活動家の生計の話として読むときで、それぞれ思うことはある。
今日の漫画
今日のエンタメ
『
チェンソーマン』のアニメの情報を見ていて、妻が「おもしろそ〜」と興味を示していた。アニメの配信が始まったら観ていくことになりそう。楽しみだね。
今日のツイート
今日の n 年前
2019-09-21 の日記を眺めてきた。『
全裸監督』を観始めた日か。それで Netflix に入会したんだった。「音楽と私」の話はずっと気になっている話。もっと自分を知っていきたい。
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