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2019-09-30 Mon : 共感の国

ほぼ毎日のように日記を読んでいる相手、とても身近に感じる
業務において接点のない対外的アウトプットの少ない同僚より、同僚じゃなくても日記を書いているウェブ上の友人知人の方がなにを考えているか想像のつく感じ
居住地所属よりも、本人の行動習慣の方が直接的に人間関係に影響を与えるのかも?

Detroit: Become Human にまつわるお話
>君の名は。」に限らず、日本アニメはどれも他の国には見られない、独特な趣を感じます。日本の文化は本当にユニークで、現実にありそうでいて現実ではないようなところに、とても魅力を感じています。
>日本ファンはとても情熱的で熱量が凄く、考察なども深いので、私も毎回来日するのが楽しみで、そしてファンの方から学ぶことも多いです。
>日本の特色というのは、フローチャートでも確かにあります。まず一番にくるのは、共感能力です。選択肢において、共感を必要とするチョイスは、日本人がぐっと高いんですよ。それは、アンドロイドの立場になって共感するのも、人間の立場から共感するのも同じ傾向です。
>他者への思いやりを示すところとか、非暴力的なところとか、そういうチョイスに関して日本の人は本当に高い傾向を示すんです。他の国とは全然違う、日本唯一の特色なんですよ。
>日本人は、アンドロイドに何か重要な選択を任せるかどうか、というところでも抵抗感がないようです。例えばメニュー画面でクロエが色々と語り掛けてきますが、クロエの語る言葉への共感、そして彼女に言葉に耳を傾けるかなども含めて、日本人は世界的に見て高い傾向を示します。
日本という国は「共感大国」という面もあるのかもな〜〜〜
だとしたら、それにふりまわされることなく、それを活かせるような取り組みをしていきたいところ

>この本では、人間には3つの才能があり、天才は「独創性」、秀才は「再現性(≒論理性)」、凡人は「共感性」に長けていると定義しています。
>それは、天才秀才凡人、それぞれの間に入ってコミュニケーションの橋渡しをしてくれる「3人のアンバサダー」と、天才の最大の理解者である「共感の神」が、彼らの組織にはいたんだと思います。
社会組織の中で「共感」をどのように活かしていくといいか、ヒントがありそうだな

書籍福岡市を経営する』を読み始めた
おもしろいな〜 勢いよく最後まで読めちゃいそう

「◯◯という個人・団体を支持する人」は「◯◯という個人・団体の思考や活動すべてに賛同する」と考えるの、無理があるのでは?
両立し得るものを排反であるかのような雰囲気で語るテクニック、意識的だとしたら卑怯だし、無意識でやっているとしたら稚拙だと思う



渥美拓馬さん、見ていて気持ちのいい動画でとても好きなので、元気に戻ってくる日を待っています
かねこさんも会長さんも、別に YouTube がなくても仲良くしていた人たちなんだろうと思う
YouTubeYouTuber があることでつながっているというよりは、もともとのつながりの上にたまたま YouTube があるようにぼくには見えている
この人たちは YouTube がなくてもいっしょに遊ぶだろうし、魚を釣って、捌いて、料理して、食べるのだと思う
だからこの人たちの動画は気持ちよく楽しめるんじゃないかな〜という気持ち
逆にいうと「この人は YouTube のためにこれをやっているんだろうな」と感じてしまうと、一歩引いてしまうというか、ちょっと心配してしまうところがあり、視聴者として純粋に楽しむ上でちょっとしたノイズになる
お見舞いの動画で、かねこさんが「お見舞い」と言おうとして「お祝い」と言い間違えていたの本当にひどいけど、笑って済ませられる雰囲気がいい

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