自分の生成したコンテンツをどこに預けるか
>今ぼくのタイムラインに流れてくる人は、note「を」書いている。note「で」書いているのではなくて、note「を」書いているのだ。
>そんな言葉のあや、揚げ足取りじゃないか、と思うかもしれない。でもnoteがwhatであるかhowであるかは、noteのプラットフォームとしての立ち位置を投影するものだ。
という節があって、はてさて今の自分はどうなっているんだっけ、と思ったのだった。たしかに note は独自のポジションを固めているというか、ブログとは異なるものとして固有名詞で「note」と認知されているように感じられる。
プラットフォームを目指している印象。
>Notion で書いた文書は Notion でしか読めないし、 Dropbox Paper で書いた文書は Dropbox Paper でしか読めない。 Markdown で書いたテーブルならほかのツールに取り込めるが、 Notion で書いたテーブルは Notion でしか使えない。入れ子にしたり装飾したりする便利な機能も Notion で使うからこそ約束されているものだ。その場所でしかその書き方はできない。
>Notion や Dropbox Paper はよくできていると思う。特に Notion は WorkFlowy のようなアウトライナー的な側面を持ち、いわゆる「ファイルの壁」問題を解決しつつ Markdown のサポート、画像の埋め込みや表の挿入などにも対応している。良いなと思う反面、一人のインターネットユーザーとしては、オープンかつ自由なフォーマットで書くことができる Markdown がやっぱり好きだとも思う。
のあたりを想起したりもした。
いわゆる「ブログ」の形式のウェブサイト
2006 年から運用していて 1,000 件をこえる記事がある
日記を書く場所として活用している
日記を書いているうちに「これはタイトルをつけてまとめられそうだな」ってものはページに切り出している
このページがまさにそう
Wiki っぽい使い方をしている
自家用 Scrapbox
と
だけがアクセスできる場所として、家庭の運用のあれこれを書いている
勤務先のお仕事に関するあれこれ
社内の人々だけがアクセスできる場所に、あれこれを書いている
Twitter や Facebook や各種ソーシャルなんちゃら
全消失しても許容できるな、というレベルのデータしか預けていないつもり
思い出という意味で希少なデータは多々あるけどね、実務面では消えて問題ないはず
ここに解釈を加えて整理してみる。
「自分のもの」として生きている間ずっと管理しようと思っているものは
june29.jp の記事たち
なるべくポータビリティの高い形で保持したいと思っている
特定のプレイヤーの思惑に引っ張られすぎないように意識している
日記は「書きやすさ」「書くにあたってのコストをいかに下げるか」を念頭に置いている
「コンテンツを差し出すことで、キーワードがリンクでつながる体験を買っている」面もある
ほぼプレインテキストなので、
Scrapbox の運営を信用できなくなったらエクスポートして避難する
自家用情報共有ツール
結婚直後は GitHub のリポジトリにあれこれ書いていて、途中から Scrapbox に移った
そのときそのときで家庭の状況に合ったものを選んで使っていくつもり
お仕事の中で得た知見も、なるべく抽象化・汎用化・一般化して自分のものとして公開するようにしている
>ユーザーのデータをどのように扱うかという問題では、Evernoteがかつてさまざまな問題に直面しつつ、それを克服するために有名な3原則を提示しました。それは次の3点です。
旧) 自分の書いた文章をどこに預けるか
新) 自分の生成したコンテンツをどこに預けるか
Podcast は特定の誰かのものではないところがすごくよくて、
ウェブサイトや
ブログなどと同じレイヤの概念だ。これの動画版があるといいな〜と思うけれど、動画ファイルはサイズが大きいので自前でホスティングして配信ってのは実際のところは難しいよねぇ。だから結局ぼくも、実態としては
YouTube に体を預けているわけで。せめて魂だけは売らないぞ、というのがせいぜいのスタンス。