自分と向き合う時間を確保する

と雑談していて思い至ったのでメモしておく。
2019-08-23 からここの Scrapbox で日記めいたものを書くようになり、その結果として副作用的に
ソーシャルメディアを眺める時間が減った。これは日記を始めてから 1 ヶ月が経ったときの記録にも書かれている。
>自分の日記に書くようになってから Twitter への投稿がわかりやすく減った
>投稿しなくなると通知があまりこなくなるので、Twitter へのアクセスそのものも減った
>ソーシャルメディア全般のアプリをスマートフォンから削除したり通知をオフにしたりと整理を行った
日記を含む Scrapbox という自分専用の場が生活に定着したことで、ぼくの中で「自分と向き合う時間」と「他者と関わる時間」のバランスを取れるようになっていった感触がある。
たとえば、ぼくから「自分の考えを文字に起こすこと」を奪い去ったとしたら。自分以外の人々の言葉にさらされる時間ばかりが増えて。あるいは、ぼくの
Twitter から「ツイートする」機能が消えて「リツイートする」機能だけが残されたら。他者の言葉を借りるしかない状態になって。想像してみる。
思うにぼくは、ぼくが「自分から出てきた」と感じられる言葉を紡いでいるときに、ようやく自我を認識できている。なので、周囲のことを気にしすぎずに自分の内面と対話する時間を確保しないと、自我が希薄になっていくような感覚を覚え、不安になってしまうのだと思う。