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自分がいいと思うことを、理由を明示しながらやっていく
生活をやっていると、この手の「申し訳ありませんが」や「◯◯で失礼します」の類いによく出会う。社会がこのまま失礼クリエーションを続けていくと「生きているのは失礼」ってことになりかねないから、そんなにそんなに失礼なことなんてないじゃん、って向きの活動をやっていきたい。


この写真の例では、

客が使うトイレを、安全衛生点検のために従業員も使う
従業員がこのトイレを使うのは申し訳ない

とふたつのことを言っている。ここで「なんのために使うのか」という理由の明示がとても重要だと思う。安全衛生点検のために従業員がカジュアルに立ち入るんだな、それはよさそうだな、と思う。申し訳ないことに該当するってのは、正直ぼくにはピンとこない。

たとえば 19:00 には大半の従業員が退勤する職場で働いていたとして、自分が 22:00 くらいになにかまずいことを検知してしまったとする。その日の夜のうちにチームや上長に共有するのと、翌日にみなさんが出勤してくるまで待つのと、選択を迫られる。まあまあよくあるシチュエーションだろう。「今夜のうちに共有しておいた方がよい」と判断したら、その判断に至った理由を添えて連絡する。「明日の対応だとリスクが高まってしまうので、今夜のうちに連絡しました」のように。

共有相手から見て「これ、翌朝でもよかったよね」と感じるものであれば、フィードバックを受けて次回以降の判断に活かせばよいはずだ。

これが「こんな時間帯に失礼します」「退勤後に申し訳ありません」ばかりを強調してやりとりしていたら、心苦しく感じているのはわかっても、なぜそれでも連絡してきたかが不明瞭でフィードバックを得にくくなってしまう。

先の写真の例が「申し訳ありませんが、このトイレは従業員も使用させていただきます」だけだと、なぜ使用するのかがわからなくて、申し訳ないと思うなら使用しなければよいのでは?となってしまう。

なにをどう考えて判断したのかを積極的に共有していくのがお得だと思う。