最初に名前を名乗るようにしている
なんかしらのイベントに話し手として参加するとき、ほとんどの場合において「自己紹介」をやると思う。自己紹介では、いちばん最初に自分の名前を言うことにしている。
「◯◯社の大和田純と申します」
じゃなくて
「大和田純と申します。◯◯社で働いています」
のような順番で発話するように心がけている。これは、まず自分があって、その付加情報として所属がある、という自分自身のメンタルモデルをなるべくそのまま反映したくて採用している方針だ。
終身雇用が前提となるような社会に生きていたら、ぼくも自己のアイデンティティの拠り所として所属というものに強く縋ったのかもしれない、とは思う。
さらに考えてみると、
「大和田純と申します。◯◯社で働いています」
「大和田純と申します。このイベントの運営に関わっています」
「大和田純と申します。このコミュニティでは◯◯を担当しています」
「大和田純と申します。◯◯さんとは大学時代の同級生です」
のように、自己紹介にはバリエーションがありえて、その場に合わせて使い分けるのがよいはずだ。その場にいる人々にたくさんの情報を与えられるような切り口を選択したいと思う。そう考えると、自分にとっていちばん「不変」に近い性質を持つ名前を先頭に持ってきて、変わりやすい補助の情報をあとに続けるのは、やはりよいことに思える。
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自家用車を購入した
ガリバーさんに用事があって電話をかけたときは
「大和田純と申します。以前にそちらで自動車を購入した者です」
のように名乗った。他にも、飲食店の予約を取るために電話をかけるときも同じ方針でやっている。まず最初に自分の名前を述べる。続いて、自分がどういう立場の者なのかを端的に述べる。自分としては、生活全般において方針を統一できているので気分がいい。
自分が個人として尊重される存在でありたくて、シンボルとしての名前に重きを置いている。同じように他者の名前も尊重したい考えがあり、よく行くコンビニの店員さんや、コールセンターの担当者さんなどなど、相手が名前を開示している場合はなるべく名前で呼ぶように努めている。「◯◯さん、親切にしていただいてありがとうございました」といった言葉でお問い合わせの電話を締めるようにしている。
ぼくらは誰もが「名もなきモブ」ではないと思っている。「問い合わせの電話をかけてきた人間 と 対応する人間」から「大和田さん と 水野さん」のように互いに個としての存在を認め合った上でやりとりしたいと願っている。
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