成功や成長はすべてを癒すのか?
これらの
命題に対する、現時点での自分の見解を書いておこうと思う。
自戒の意味が強いかな。
ぼくがこれを最初に見聞きしたのは 2011 年か 2012 年だったと思う。そのころぼくは
スタートアップに身を置いていて、大小さまざまに大変なことはあったので (楽しかったけどね!) 身近なところにいる先輩にいろいろと相談していて、そのときにとある先輩に言ってもらった言葉のひとつだった。当時は「たしかに!」と思ったような覚えがある。苦労はあれど、
プロダクトや
事業が順調に
成長しているときは細かなあれこれは気になりにくいものだ。
それから 5 年以上が経って、
成功や
成長が万能薬ではないということもわかってきた。
成功や成長が、疲労を癒してくれることはある
成功や成長が、傷や怪我を癒してくれるわけではない
というのが、2019 年初頭のぼくの認識だ。たしかに
成功や
成長は
快楽のようなもので、それによって癒されるものはあったりするのだろう。苦労した上に
成功も
成長もしなかったら踏んだり蹴ったりなので、
成功や
成長はあるに越したことはないと思うし、みんな多かれ少なかれそれを得るべく毎日を過ごしているだろう。
いろいろを経たあとの
結果論として、関わったみんなで「がんばってよかったね」と言える状況ならば、この
言葉は
ポジティブに響く。しかし、特に立場が相対的に上の者が、これを
免罪符にして誰かを傷つけたり怪我させたりするのは、どう考えたって間違いだと思う。この言葉に甘えてはいけない。誰かを
犠牲にして得られる成功・成長の社会的価値だなんてたかが知れているし、長続きだってしないのだから。
「私は成功や成長に癒されました」ってのはあると思う
「お前らもすべて癒されたよな?」となるとトラブルになりそう