好きな◯◯がない
ぼくにはたぶん、好きな食べ物がない。食べていて「おいしい」と思うことはあるけれど、日常の中で食べるものはだいたい「おいしい」って思うから、きっとこだわりなんてぜんぜんない。美食家たちの会話には入っていけないと思う。
ぼくにはたぶん、好きな映画がない。
レンタルビデオショップで
アルバイトしていた時期は、人生でもっとも高頻度で映画を見ていた。けれど、たまたま視界に映画の VHS や DVD のパッケージが入ってくるからなんとなく気になったやつを観ていただけで、映画のことはぜんぜんわからない。映画好きたちの会話には入っていけないと思う。
ぼくにはたぶん、好きなゲームがない。夢中になってプレイしたゲームはいくつかあるけれど、どれもメジャーな作品ばかりで、歳を重ねる中でゲームにあてる時間はどんどん優先順位を落としていった。ゲームプレイヤーとして脱落してしまった感覚がある。今ではほとんどなんのゲームもプレイしていない。ゲーム好きたちの会話には入っていけないと思う。
ぼくにはたぶん、好きなスポーツがない。小学生のころはサッカーを、中学生のころはバレーボールをやっていたりもしたし、父親はそれらに加えて野球、ラグビー、ゴルフ、スキー、スケート…と幅広く楽しむ人なので、その影響で多くの競技の基本的なルールは把握しているから観戦を楽しむことはできる。でもそこに熱心になったことはないのかもしれない。今では自分からスポーツを観ることもなくなってしまった。スポーツ好きたちの会話には入っていけないと思う。
ぼくにはたぶん、好きな音楽がない。
/cd を見ていると「ここにいる人たちは、きっとちゃんと音楽が好きなんだ」と感じてしまう。「ちゃんと」ってなんだよ、と自分でも思うけれど、感じてしまうものは感じてしまうのだ。
峯田和伸さん、
鬼龍院翔さん、
DJ社長さんのことは好きで情報を漁ったりもするけれど、ぼくにとっての「音」というのは、そういう強烈におもしろい人々というスピーカーから出てくるもの、という感じがする。実は音楽を聴いてはいないんじゃないかって思ったりもする。音楽好きたちの会話には入っていけないと思う。
…なんて、ちょっと斜に構えた書き方をしてみると、つくづく自分は「ふつうの人間」だなあと思う。平凡寄りの平凡。物事の表層を浅くさらって話を合わせることはできても、深く話せるようなことはぜんぜんない。
そんなぼくには、好きな漫画がある。漫画好きたちの会話にも入っていけると思う。だから、ぼくの趣味は「漫画を読むこと」なんだと思う。この世界に漫画があってよかったな。