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ポッドキャストとプラットフォーム
>@june29: 気に入って聴いていたポッドキャスト番組の最新エピソードで「みなさんにお知らせ!」と言うからなにかと思ったら Spotify 独占配信になるとのこと… 今まで通りの聴き方ができなくなるから不便だなあ、プラットフォームの力よ

このツイートを投稿したのが 2022-05-02 で、自分は地味にショックを受けているなぁと自覚したので 2022-05-03 にこのページを起こしている。

ぼくが特別な前置きなしに「ポッドキャスト」と言うときは、日本語版 Wikipedia にも書かれているような説明と同様の認識にもとづいて話している。

>ポッドキャストとは、Webサーバ上にマルチメディア・データファイル(音声データ・動画データなど)をアップロードし、RSSを通してWWW上に公開すること。

とはいえ、世の中を見ていれば「インターネット経由で配信されるラジオ番組」くらいの意味でポッドキャストという言葉が使われているのはよくわかるし、特定のアプリやプラットフォームでしか配信されない・視聴できないものをポッドキャストと呼ぶな〜と大声で叫ぶことはしない。

「スマートフォンにインストールしたなにかしらのアプリで、音声配信を聴く」という習慣を持つ人が増えれば、結果としてポッドキャストの文化全体は盛り上がると考えるからだ。

しかし、これまでどんなポッドキャストのクライアントアプリでも聴けていたものが Spotify でしか聴けなくなるというのは、心情的には「後退」を感じてしまったなあ。

ぼく個人が「Spotify音楽を聴くもの」としてポッドキャストを聴くアプリと明確に区別する運用にしているから不便を感じている、というのはある。音楽ポッドキャストもぜんぶ Spotify で聴きますよ、ということにすれば今回の件で影響を受けることはない。ただ、Spotify で聴いている人も「Amazon Music 独占配信になります」と言われてしまえば同じ目に合う、か。

YouTube のように企業が運営しているプラットフォームに最初から根ざした文化であれば、最初の時点で「そういうもの」と認識するからよいとして。ポッドキャストのように特定のプラットフォームが決定権を持たないインターネット的な文化だと思っていたところにプラットフォームが登場して影響力を行使すると、自由を奪われた感じがしてしまって悲しいのかもしれない。

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さて。ぼくの目的は、お気持ちの表明によって誰かの意思決定に働きかけるところにはない。自分の気持ちを整理して自覚するためにお気持ちを書いたが、この文章によって「君は Spotify にいかないでね」というメッセージを発したいわけではない。

ひとつには、ここまでのポッドキャスト文化が「マネタイズ」の仕組みを整備してこれなかったところに伸び代があるだろう。たとえば、特定のプラットフォームに依存することなく金銭的な報酬を得られるような仕組みがあれば、ぼくが感じているような自由はそのままに、ポッドキャスト番組を持続可能な形で運営しやすくなると考えられる。

もうひとつはディスカバリーかねぇ。好んで聴いているポッドキャスト番組のひとつである Off Topic の 109 において、YouTubeディスカバリーがとにかく強いという話をしていてなるほど〜と思った。なにかしらの動画を再生すれば「次はこの動画なんかいかがですか」とビシッと提示してくれる。牧歌的なポッドキャストの世界にはこれがないので、YouTube なり Spotify なりがこのあたりをサポートして「ここで配信した方がたくさんの人に届く」となれば、大きな魅力になりうるだろう。こちらも特定のプラットフォームに依存しない形を模索したいところ。


Web3 的な文脈の中で (別の文脈でもいいんだけど) システムにアプローチする形で自由なポッドキャスト文化の醸成に関わっていけたらうれしいな、と思う。