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コンテンツとしてのテレビ、デバイスとしてのテレビ
人々が「テレビ」と言うとき、

設置型のデバイスとしてのテレビ

がしばしば混同されているように感じる。ので、自分が会話中に「テレビ」について言及するときは、それがコンテンツの話であれば「テレビ番組」と明示するように心がけている。

「じゅーんさんは、テレビを見ますか?」と聞かれたときの回答はなかなかに複雑だ。

自宅のリビングに、デバイスとしてのテレビは設置してある
Nintendo Switch 等のビデオゲームをプレイするときの画面として使ったり
YouTubeNetflix 等の動画を観るときに使ったり
Spotify 等で音楽を再生するときに使ったり
Apple TV 4K 経由で macOSiOS の画面を移したり
テレビの電源を入れて、チャンネルを指定して現在放送中のテレビ番組を視聴する」という行動習慣はない
日本テレビ局が制作したテレビ番組用のコンテンツNetflix 等の動画配信プラットフォーム上で配信されていれば、それをリビングに設置してあるテレビに映して再生することはある

…というのが詳細なのだけれど、これは質問者さんが想定する「テレビを見る」に該当するのかは、そう自明ではないだろう。だから、どういった会話の流れでその質問が飛び出してきたかによって、その都度で適当に回答しているように思う。

大豆田とわ子と三人の元夫』はおもしろかったな〜。

テレビがおもしろくなくなった」という命題についても、簡単には自分の意見を述べられない。

コンテンツとしてのテレビ番組は、おもしろくなくなった?
昔も今も、おもしろいやつはおもしろいし、おもしろくないやつはおもしろくない
自分は批評できるほどの知識を持ち合わせていない気もするので、主観で「自分は楽しめたかどうか」くらいしか述べられない
デバイスとしてのテレビは、おもしろくなくなった?
昭和の時代と比べれば、インターネットにもつながっていて、楽しみ方の幅が広がっていると思う
大和田家について言えば、各個人が自分のスマートフォンの画面で YouTube の動画を見るのと、リビングに設置してあるテレビで複数人でいっしょに YouTube の動画を見るのとでは、体験がぜんぜんちがう
パーソナルコンピュータスマートフォンは「個人がひとりで利用する」という文脈が強くて、複数人で同時に操作したりなにかを視聴したりするのには不向きと感じる
みんなでいっしょに見てワイワイしたいコンテンツを投影するデバイスとして、テレビはおもしろいと思う