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「わがまま」について考えたこと

という記事を読んで「わがまま」について考えたので書いておく。

>富永京子さんは、社会運動論を専門にする社会学者。著書の『みんなの「わがまま」入門』では、「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」を「わがまま」と定義し、わがままを言うことの大切さについて書かれています。

この定義だとしたら、ワシは毎日わがまま放題で生きていることになるな、ガッハッハ!

>(例題3)一律で定められている出社時間は8時半。でも朝はパフォーマンスが上がらないから、10時ごろの出社にしたい。でも、みんなは8時半に来ているし、自分だけ特別対応をお願いするのはどうなんだろう……。

これは「社会規範と市場規範」でいうところの社会規範の雰囲気が強い。ティール組織の分類でいうとアンバーっぽいな。

ぼくはわりと「自分は、自分の裁量を存分に発揮して、自分のパフォーマンス最大化に努める義務がある」くらいに捉えていて、8:30 からお仕事するよりも 10:00 からお仕事する方がより多くの成果を出せるのだとしたら、そのことを相手に対して示し、自分も相手もちゃんと得するように意思決定にはたらきかけていくのがよい、と考えている。ぼくの業務開始を 10:00 からに変更するコストが A と、そうすることによって得られるゲインを B としたとき、不等式「A < B」が成り立つならば組織は「対応する」を選択すればいいと思っている。

これに「わがまま」「特別扱い」というラベルをつける発想が自分にはなかったので、リンク先の記事にはなかなか驚いた。なるほどな〜と思う。

ここまで考えた上で、冒頭で引用した文からさらに一部を抜き出して再引用する。

>「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」を「わがまま」と定義

これは「社会規範から市場規範へ」「アンバーからオレンジへ」という変化を促そうとしている活動なのかもしれない、と感じた。そうだとしたらぼくは活動を歓迎したい。