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HUGっと!プリキュア完走した
前半1/3くらいは妻がみているのを遠目でみていただけだったが、要所要所でリベラルというか、ガールズエンパワメントな文脈でめっちゃいいこと言ってんな〜というのはわかっていて、中盤からはしっかり腰を据えてみるようになった
最近のプリキュアシリーズってこんななの?
腰を据えてみはじめたくらいのエピソードはめっちゃ好きで、ほぼ毎回泣いた
終盤に近付くにつれ、粗の方が気になってしまい、ちょっと冷めてしまった
自分は改めてティガの最終回が好きなんだなというのを思い直したりした
有り体に言えば石化したティガに子供たちの想いが届いて復活する、というような流れだけどこれをリアタイでくらって今でも刻まれてるんだなと...
プリキュアを応援するくだりとか、みんながプリキュアになるくだりとか(これはティガ最終回でいうと、子供たちの動きにティガがシンクロする展開っぽい)
それから敵だったキャラクターが光堕ちして味方になる展開にも弱い
これは仮面ライダードライブでやられた
えみるとルールーの物語はSFを超越した何かで、そこはめっちゃよかった
同様にトラウムとルールーもなかなかよかった
アンリのエピソードはアンリそのものよりも、アンリの近くにいたえみる兄が実は陰の主役というか、何人も見捨てないという信念を感じた
最終話で次季主人公であろうキャラクターが成瀬瑛美さんの声で出てきてグッときてしまった.....
タイムリープものの宿命かもしれないけど、結局タイムパラドックスを克服できず終わってしまった感が強い
常に世界が分岐し続けているみたいな多世界解釈だとすると、未来Aから過去aにやってきた未来の登場人物たちが過去aで歴史改編をした結果aから過去bに分岐して、過去登場人物たちは未来Bに進んだとして、未来Aからやってきた登場人物たちは未来Aに帰ったとすると辻褄は合うけど、そうすると未来Aの人たちは何のために何をしにAに帰るのかよくわからんようになってしまう気がする
直近で一番パワーある解決をしたのはエンドゲームだけど、あれもインフィニティ・ストーンを借りて元のタイムラインに戻すっていう離れ業をやってのけたからギリなんとかなってるだけ
インフィニティ・ウォーではあんなに良かったサノスエンドゲームで渋くなっちゃったのと似て、クライも匂わせてるあたりまではよかったけど、終盤の展開ではただのラスボスになってしまってもったいなかった
クライ視点でも常にパラドックスが起き続けていて、自分が過去に遡って時間を止めることに成功したならば自分は存在しないはず、つまり過去に遡っても失敗することが確定していることになってしまうわけで、やっぱりグランドシナリオに無理を感じる
ついでにうーんとおもっちゃうのは、終盤でエールに残りのメンバーが全てを託すところ(託される側の重みを考えると...)や、未来でえみるが幼ルールーに過去の大ルールーの存在を投影していることや、はなが我が子に過去のはぐたんを投影していること(投影される側の気持ちよ....)
あとこれはわがままかもしれないけど、力のプリキュアや知恵のプリキュアというからには変身後になんらかそれぞれが能力を持っているとよかった...
出てくる敵に対してずーっとぶん殴ったりパワーで対抗するだけだったので、そこはハイスト映画みたいに敵に勝つロジックがあると尚よかった
扱ってるテーマがテーマだけにぶん殴ってデカい声出したら勝つ、みたいなのは違うんでは、という....
俺ならこうする論になっちゃうかもしれんが、シリーズのテーマとして出産育児というところにフォーカスをあてていたわけだし、そっから自然に敵対する存在を導き出すと家父長的な存在が仕切る組織であるべきで、一番近いのはえみるの祖父のような存在だろう
変に時間要素は絡めずに全世界の女性を産む機械として制圧せんとするジジイどもの組織に対抗するレジスタンスプリキュア、どうでしょうか
すごーーい制作陣に好意的に汲み取るとするならば、産まれてくるからにはいずれ死ぬ、どうせ死ぬならば産まれて死ぬサイクルを止めてしまおうというヴィランに、死は悲しいことだが悲しいということもまた生きていることなのだ、または希望があるから絶望がある、絶望をなくすためには希望を断つべきというヴィランに、どれだけ絶望しても希望があるならやっていけるんだ、というメッセージを込めたかったのだろうか
インフィニティ・ウォーがサノスの紹介映画だったように、1話ほどクライの半生を回想するみたいな回があればまた違ったのかもなあ...