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誰に書くか
誰に書くか
街場の文体論でも誰かに伝えたい切実さが大事、というような話があった気がするんだけど、外向きに何かを表現する時にどれくらい受け手のことを考えるのが妥当なんだろう
サービス開発初期のペルソナを考えるというやつがずっと苦手でいる
「誰か」の想像力が著しく低い気がする
逆に身近な人は想像しやすい
小さいプロダクトで、かなり具体的にxxさんのために書くということはまあまあある
宮崎駿は一貫して「日本の子供」向けに創作しているとどっかで言ってた気がする
そんだけマスにとれるのすごいな、とおもいつつ
例えばこの前みたリチャード・ジュエルクリント・イーストウッドは恐らく極東のガキ(俺)が鑑賞することまで想定していないとおもう
そもそもアトランタ五輪の爆破テロの話も大して知らんかったし
パラサイトポン・ジュノもテーマは世界に通じるような普遍さがあったけど、表象はドメスティックだった