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信念と過激派のはざまで - diary.jgs.me
正義というのはとても扱いの難しいもので、常人がやすやすと手を出していいものではない。よくいう話で、社会的に悪と断定されることでも、はじまりは正義からだったりするからだ。
ここ最近、このあたりに絡む話題が多くて気分が悪くなる瞬間が多い。こういうとき、ここ何年かはとにかく無視することが賢明だと考えて行動するようにしている。自分の感想はどうあれ、とにかく言及したら負けのゲームをしているような感じ。
それがこう、自分の手の届かないところでドンパチやってる分にはいいけれど、まあまあ近いところでドンパチやられるとややあと傍観しているわけにもいかないが、自分もドンパチに巻き込まれると厄介だな、という感じで。
前述のとおり、自分の中に「完全にこれが正しい」というような思想思念を持っているひとは苦手なのだけれど、それが例えば自分が育ててきたものに対してであったりだとか、深くコミットしているものに対してだと信念という言葉が適当に思えるが、一方で外野だけどそういう風に考えて行動しているひとはただの過激派なんじゃないかとおもう。結局のところ、そいつらは表裏一体で、紙一重の差ぐらいしかないのかもしれない。そして誰しもそういう考えを抱いているから争いは耐えないのかもしれないし、その争いによって人間は進化していくのかもしれない。

March 14th, 2014 1:39am