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パンチラインが大事
100分de名著折口信夫の回をみていたのだが、折口曰く律文が先で散文が後ということらしい
長く残したいものほど韻というか、リズムが大事、みたいな話で結構グッときた
俳句短歌でなんでこんな短い作文でがんばってたんだろう?とずっと疑問におもっていたけど、ここでこうやってズラズラ書いても後に残りにくいってのは容易に想像がつく
俳句に限らず、祇園精舎の鐘の声〜とかもう一生忘れることないよなあと、研ぎ澄まされたライムに改めて感動する
1000年の時を経ても伝わっているだけのことはある
TumblrQuote でどれだけ短く切り取って何かを伝えるかってのは本当に大事なことで、長い文章の中にも「ここだ!」という瞬間はあるし、Quote として切り取られると元々の文章からも解き放たれてより射程が長くなっていると感じることは往々にしてあった
アラン・ムーアコミック映画に否定的で散文たのしいよ〜みたいなことを話していたのに結構ショックを受けてたんだけど、より長く残るものを生み出そうと考えるのであれば、コミック本を創作するよりも1節でもいいので「これだ!」というパンチラインを生涯をかけて考えることが根源的な創作なのかもしれない
なんか〜〜〜〜言わんとすることはわかるんだけど、キュレーションする立場だとそうなんだとおもうけど、作る立場としては創作物の中にはパンチを込めてるとおもうっていうか....
>例えば究極の16小節
>テメエが持てる全てのスキルと情熱つぎ込んで余すことなく証明する
>積み重ねたキャリアのショウケース
>約40秒弱の長編小説
>まさしくサイエンス表現を調節
>意味とリズムを構成する
>それは何万語費やすよりも饒舌
>聴いた者は皆決して拒絶出来ないほどに徹底して強烈
>イメージは超絶的そしてメッセージは普遍的にして超フレッシュ
>たとえいつかジャンルごと消滅してもその詞だけは時代を超越
>そんな最高の最後のヴァースを夢見て今また挑戦する
作り手としての矜持みたいなやつはここの宇多丸さんのヴァースの受け売り
ジョン・ウィリアムズのメロ聴いたら「あ!ジョン・ウィリアムズだ!」ってなるけど、それは自分が見出してるから....なんだろうか?
セルアウトはワック的な話なのかな〜...

/hub/インターネットにおけるパンチの話を読んではたとおもったのは、古代においてはライムなんだかバイブスなんだかみたいなものがそのコンテンツの生き残りにおいて重要(口伝のため)だったんだとおもうが、こと現代インターネットの世界ではコピーの多さこそが生き残る上で重要なファクタなのかもしれない
どうやったら多くコピーされるのか?パンチの強さ?パンチの射程?
もしくは、ScrapboxWikiの思想の下ではリンクの強度なのかもしれない