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スポーツとナショナリズム - diary.jgs.me
夏の招致のときあたりから、五輪まわりが気味悪くてかなり冷めてしまっている自分がいる。
この冬のそれは、夏とはまた違って気味が悪い。大会の性質上、ある程度のナショナリズムでもって見てしまうのは仕方のないことだけれど、スポーツを観戦するのにナショナリズムもクソもねえだろとそもそもおもうわけで、あまり愉快な気持ちにならないので意識的に情報を遮断している。
が、明らかなヘイトスピーチを真に受けているひとがちらほら見受けられるので暗鬱な気分になった。自分がかつて選手だったりとか、もうめちゃくちゃなファンなひとが調査に調査を重ねた挙句に憤慨するならわかるけど、陳腐なナショナリティでもって自分のこころに都合のいい情報を得て憤慨しているのは哀れとしか言いようがない。これまでにもそういう傾向があって、Daily Currantの風刺を真に受けたバカが本当のことのように喧伝して、それが話題性ともマッチして拡散したり、某元首相の発言の一部を切り取った記事が拡散されたりと。
やはり、もう何千回リブログされているquoteの通り自分で情報を選別する能力のないひとにはインターネットは難しいとおもう。どう取り繕ったところでこの原則は変わらない。香ばしいな、という情報と出会った時に自ら調べて学ぶという姿勢をもつひとが増えない限り、このインターネットはどんどんスラム化していくんだろうな。
それとは別にかの地でのセクシャルがどうこうという問題やら、開会式がナショナリティの見世物に成り下がっているのやら、開催地を決めるのにごたつくのにもうんざりだ。純粋にスポーツをやれよ。そんだけのことだろ。南極宇宙にでもオリンピックを開催するだけの国でも作って毎回そこで粛々とやれよ。

February 21st, 2014 3:06pm