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キュレーション系サービスの所感 - diary.jgs.me
ここ数年ぐらいの間でソーシャルメディアからURLを拾ってきて単位時間当たりに配信するサービスがいろいろリリースされては消えていったりしている。つい最近もやけにやらしい感じで叩かれているサービスがあって、それはそれで面倒くさそうだな、とおもったりした。
この手合いのサービスはいくつか使ってみたけれど、どれもあんまり馴染まなかった。理由を考えてみると、
1. ある種機械的に情報がキュレートされているという事実があること自体が、機会損失をしているような気分になってしまう
2. だんだんと調教していけば自分に合う情報だけを出してくれるようになるのかもしれないが、この調教していく過程が透明じゃないのが手間のように感じる
3. 自分にフィットした情報だけが配信されるという状態がディストピア的に思えてあまり魅力を感じない
この3つに最終的には落ち着く。1はおそらく情報ジャンキーの性で、自分の情報の間口は広くとっておきたいからだとおもう。一度RSSリーダを棄ててみたこともあったけれど、それではなんだかインプットが物足りなかった。とはいえ、可処分時間に限界はあるのである程度フィルタリングしなくてはいけないが、そのフィルタリングの度合いの問題なんじゃないかとおもう。2に関しては、SF的な打開策を持っている。インターネット上に自分の判断基準価値基準を持ったエージェントをたくさん泳がせて、そいつらが人間一人ではとても手に負えないぐらいの量のインプットをさばいてくれればいいのだ。がんばれ人工知能。3つ目は「タイムラインにはある程度ノイズが乗っているぐらいがちょうどいい」という持論をもっているが故の話である。RSSリーダはこのノイズ量を調整できるし、TwitterFacebookも調整ができる。また、TumblrDashboardもそれなりに調整がきくので、このあたりをいかに心地よいタイムラインを作れるかが快適なイン環境を作れるかどうかにかなりクリティカルに関わってくるのではないかと考えている。
先日、「インとアウト、どっちが多い?」みたいな話になって僕は「圧倒的にインが多い」と答えた。人間は自分のインを再構成することでしかアウトできないと思っているので、意識的にインを多くすることを心掛けている。そういった中で、そのあたりのサービスがどれほど供給源として機能できるかはまだまだこれからだとおもうので、今後とも注視していこうとおもっている。

May 8th, 2013 1:53am