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小野篁
(おののたかむら)
>『孝子の月』(月岡芳年月百姿』)両親のために薪を集める小野篁


隠岐に流されたことがある
遣唐副使に任じられたときに遣唐大使の藤原常嗣の行いに抗議して乗船を拒否し
病気や老母の世話を口実にしたらしい(日本文徳天皇実録に記事があるらしい)
西道謡という遣唐使を風刺した漢詩を作った
これが嵯峨上皇の怒りに触れて隠岐流罪になった
数年後に赦免されて帰京
そのときの詩歌
「たくこうぎん」

をよくした人でもある
後世、江戸時代に「小野篁歌字尽」という漢字の教科書も出た
似たような形の漢字を覚えるように工夫してある
これが広く使われたのに目をつけた式亭三馬は、「小野ばかむら譃字尽」という滑稽本を出している(1806)
ひどいネーミングだ