なめらかな社会とその敵
2013-01-28 に世に出た
書籍 である。著者は
鈴木 健 さん。
キーワード
PICSY
分人民主主義
構成的社会契約論
読書メモ
第 I 部 なめらかな社会
第 1 章 生命から社会へ
P.17
サリーとアン課題
心の理論
P.19
膜と核、の図
膜と核、そして網
世界はあくまでも網、膜と核がそれを見えにくくしてしまう
P.20
オートポイエーシス
P.23
オートポイエーシス = 生命システム
自律性、個体性 (非分割性)、単体性 (統一性)、入力も出力もない
生命システムの内側 = システム
生命システムの外側 = 環境
P.24
構造的カップリング
センサーモーター・カップリング
P.25
オートポイエーシスの考え方では、
進化は本質ではなくサブエフェクト
P.26
オートポイエーシスは「生命と何か」「私が生きる意味は何か」「主観性とは何か」といった重要な問いに答えている
20 世紀の生命哲学に重大なインパクトを与えた
人工物としての社会制度
P.27
もっとも基本的な人工物 (artifact) は建築物 (architecture) である
ex: 鳥の巣、ビーバーのダム
必ずしも「人」がつくったものでなくても人工物と呼ぶのはおもしろい
建築物は環境に帰属する人工物
身体 (システム) に帰属する人工物としての、道具
チンパンジーは蟻塚に棒をつっこんでアリを食べる
蟻塚という建築物の構造が、細い棒という道具の使用をアフォードする
道具と建築物の関係は、システムと環境の間の構造的カップリングの帰結
P.28
システムと環境の相互作用が全体としての知性を実現させている
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複雑系の話だなあ!
端的な例が「市場」
>身体 (脳) の中の限られた計算能力で複雑な環境に対応する知性を得るために、社会制度という建築物をつくり、この建築物のほうでより多くの計算を行う
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クライアント・サーバの構造じゃん!
市場のような環境型の社会制度が建築物だとすると、身体的な道具に相当する道具は慣習
先の「蟻塚に対する細い棒」と対応する
P.29
物事を「原因と結果」という単純な見方で片付けてしまうのは、人間のもつ認知能力の限界によるもの
自由意志は幻想に過ぎない、とする研究がある
一貫した人格、なんてものはない
P.30
分離脳の手術
右手と左手で矛盾する行動をとる事例
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人間は理由があって行動するのではなく、行動をしたあとに理由をつくるらしい
P.31
自由意志があるから責任をとるのではない、責任を追求することで自由意志という幻想を強化する
自由意志なんて存在しない、というスタンス
そんな人間観・社会観に基づいて、全体主義にも個人主義にも自由主義にも陥らない新しい思想を切り開いていくのが本書
これが第 1 章の結び
第 2 章 なめらかな社会
P.32
権力はまわりの人々が「権力者が権力をもっている」と信じることによって成立する
権力者は「影響力のメディア」として機能する
>権力者が組織に現れるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人々が権力者を通して権力を行使したいから
組織が全体を制御するための社会制度 (建築物)
社会組織は「膜」
権力行使のもっとも重要な機能は、組織のメンバーを選ぶこと
P.33
組織の自己維持性は、硬直性というネガティブな性質にもつながる
膜に
依存しない、よりダイナミックな組織や権力の形とは?
服従実験
6 digrees
P.34
スモールワールド実験
社会ネットワーク分析
社会のネットワークは、生命の中で多様な化学反応が行われているのに似ている
P.35
組織は内部だけでは完結しない、外部とのやりとりがある
SNS
2002 年の Friendster と、その後の LinkedIn、Myspace、Facebook、Twitter など
P.36
従来のマスメディアや検索エンジン的なブロードキャストとは異なった仕組み
情報は、ソーシャルグラフの上を、組織や国の境界を意識せずになめらかに伝搬していく
マスメディア
情報が伝達される対象が特定の視聴者に限定される (膜の性質)
ごく少数の発信者と多数の受け手とに分かれる非対称性がある (核の性質)
P.37
なめらかなメッセージング
上記 2 つの双方の概念を含む
2.3 網、膜、核
生命をこの 3 つの概念で理解してきたように、社会制度という人工物も理解していくアプローチ
人々が世界を見る視点がネットワーク思考になってきた
P.38
ここで Barabasi が登場するのは
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としては胸熱
認知的な距離は技術や社会制度に強い影響を受ける
ex) 飛行機のおかげで海外諸国を近く感じられるようになる
インターネットの力によって認知的な距離が大きく変わる
Twitter の RT によって新たな距離空間が生じる
P.39
網のアーキテクチャは、そもそもインターネットがもつ自律分散協調の思想からはじまっている
情報建築家
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にはグッとくる言葉だった
インターネットによって世界はフラットになりつつある、のか?
P.41
フラットな社会は一見して理想的なようで、生命のもつ
多様性を否定している
「社会がフラット」という状態を科学的に捉えようとしていて好感を持った
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は
雰囲気で「フラット化」と言ったことがありそう、と思って反省した
なめらかな状態は非対称性を維持しつつも、内と外を明確に区別することを拒否する
ステップ、フラット、なめらか、という 3 つの状態はシグモイド関数のパラメータが違うだけ
「なめらか」という語彙に込めた意味
P.42
2.5 なめらかな社会
P.40 〜 P.41 のグラフを見ると、世界は本来なめらかであることに気付く
社会がステップになってしまっているのは認知システムと社会環境との構造的カップリングのせい
たとえば婚姻関係はなめらかであってもいいはずだけれど、近代の多くの社会では離散的
夫婦が住みやすそうな家が設計され、戸籍や税額控除のような社会制度が整えられると、ますます婚姻関係という認知の離散化に拍車がかかる
なめらかな社会では、社会の境界がはっきりとせず、だんだんと曖昧になっていく
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は「明確な意思をもって行われること」に傾倒しすぎかも…?と思わされた
P.43
万人がマイノリティであるような世界をつくりだす
歴史的に見れば、フラットやステップのような近代が例外的
国家と個人の蜜月関係の構築こそが近代化の歴史だった
なめらかな社会は、国家をなめらかにし、個人をなめらかにする
解体するわけではなく、今まで負ってきた責任を分散化させることによって、国家や個人を楽にする
グローバル、国家、共同体、個人、分人がなめらかに連なる新しい社会像が提示される
あらゆるものを
私有と
公有に振り分けるのではなく、人々がゆるやかに
共有する文化が育まれる
P.44
これまで社会が
依存してきたコアシステムと呼ぶべき社会制度そのものを、情報技術を用いて完全に置き換える
貨幣、投票、戦争などのコアシステムをなめらかにしなければ、なめらかな社会は砂上の楼閣になる
P.45 〜 P.46
以降の章の紹介しつつ、本書の全容をあらためて描いている、それがビリビリくる文章になっている…!
第 II 部 伝播投資貨幣 PICSY
第 3 章 価値が伝搬する貨幣
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暗号通貨について学んだことがある人なら序盤は既知の内容が多いと思う
P.66
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急に Ruby on Rails が出てきておもしろかった
第 4 章 PICSY のモデル
第 5 章 PICSY、その可能性と射程
P.115
5.4.1 人事評価システム
PageRank 的に人事評価に使うのおもしろいと思う
会社でやろうとすると調整が大変だろうから、ウェブ上に
コミュニティをつくって任意参加でやってみたい
「株式会社はてな」での事例も紹介されている
P.118
PICSY は、単に組織と組織の間をなめらかにするだけではなく、貨幣と人事評価という 2 つの仕組みの境界を溶かしていく
P.119
情報財や
知識は、原価の積み上げで価格を決める方法が適さない、伝播の結果から後付け的に価値が決まる
先にオンラインゲーム内の通貨として利用してみる等の実験をしたい
P.120
C-shirt の関係者に「尾藤正人」と書いてあってオオッとなった
P.121
ソーシャル保険
もともと保険は互助的なコミュニティをベースにしたものであった
P.122
5.5 なめらかな社会としての PICSY
第一の意味 : PICSY が組織を仮想化する
価値が組織の壁を軽やかに超えて伝播していく
第二の意味 : PICSY は人から人への価値の伝播を世界中に波及させる
第 III 部 分人民主主義 Divicracy
第 6 章 個人民主主義から分人民主主義へ
P.129
6.1.2 民主主義の再発明
ネット民主主義の危機を、民主主義の再発明の機会へと転化できないだろうか?
P.130
フランスとドイツの例は、技術が
進歩しても人間がボトルネックになった例と捉えることができる
国民国家概念とマスメディアのカップリングが、インターネットの登場による価値観と関心の多様化についてこれなくなりつつある前兆現象
ネットの文法に即した新しい民主主義の仕組みを考えなくてはならない
6.2 近代民主主義が抱える問題とその突破
6.2.1 近代民主主義の帰結
民主主義は、哲学的には自律性の概念
P.131
二層民主制
厳格なメンバーシップによって、内側と外側が生じる
P.132
現実には 7 層や 8 層からなる民主制になることも珍しくない
P.133
カール・シュミット「政治とは、敵と味方を区別すること」
P.134
近代民主制は「敵と味方を区別する」強い動機を与えてきた
敵と味方の区別は、全体としては巨大なコスト
6.2.4 個人 (individual) という幻想
人格に過度の一貫性を求める社会制度は、結果として合理化・言い訳を増大させる
ここで、分人 (dividual) という概念を提示する
ジル・ドゥルーズという哲学者が使った概念
現代社会は規律社会から管理社会へ移行しているというミッシェル・フーコーの分析に着目した
P.135
分人民主主義
6.2.5 近代民主制を硬直化させる 3 つの壁
国家の壁、組織の壁、個人の壁
P.136
これら 3 つの壁は相互にカップリングされて維持されてきたので、同時に打ち破る必要がある
第 7 章 伝播委任投票システム
P.137
分人民主主義 Divicracy
伝播委任投票システム Propagational Proxy Voting System
P.138
この投票システムは、独裁制から完全な民主制まで、あらゆる政治システムを含む
すべての人が特定のひとりに委任すれば独裁制
すべての人が直接的に制作に投票していれば直接民主制
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は「ステップ、フラット、なめらか」の関係を思い出した
P.166
7.3 分人民主主義の意義
7.3.1 制度のメタシステムとしての伝播委任投票システム
これもシグモイド関数のお話と通ずるっぽい
憲法を改正せずにアルゴリズムを柔軟に入れ替えできるギミックがおもしろい
P.168
7.3.2 メンバーシップとステークホルダー
同じ国にいるからといって同じ価値観を
共有しているわけではない
人々は多重帰属的になっている
地理的な制約で統治を行うことの限界が見えてきている
P.169
「
企業は誰のものか」という問いも、メンバーだけでなくステークホルダーを考えることになる
イタリアに囲まれた人口 3 万人の小国サンマリノでは、外国人が裁判官をしている
国内で選ぶと関係者になってしまうケースが多くなる
P.170
20 世紀の近代国家システムは「
国家と
個人」という二分性で世界を見がちだった
P.172
7.4 なめらかな社会としての分人民主主義
近代の社会システムは、
個人と
国家をカップリングさせ、この 2 つに離散的な絶対性を帯びさせることによって成り立ってきた
P.173
いろいろとあるけれど「個人の解体」こそが肝
個人の一貫性を強要する仕組みが存在していると、それを利用して
共同体の固定化や
国家の絶対化が実現してしまう
個人そのものの一貫性が幻想にすぎないことから出発する必要がある
P.175
静的で一貫し矛盾のないことを是とする世界観から、動的で変容し
多様性にあふれることを是とする世界観へ、私たちの身体が今こそ試されている
第 IV 部 自然知性
第 8 章 計算と知性
P.179
ここまでのお話を計算と知性のパラダイム史から抽象化し、第 V 部への布石とする
PICSY や Divicracy を見ると、ネットワークから知性が創発しているようにも見える
コンピュータとインターネットの本質的な意義を考えていく
社会そのものをコンピュータとみなす
P.181
HCI - Human Computer Interaction
P.182
アラン・ケイの成果は多岐に渡るが、主張はたったひとつ
パーソナルコンピュータは「個人が動的にメディアを作るメディア」である
メタメディア
メディアはメッセージを運ぶ箱のようなもので、メッセージはメディアと独立に存在し得ると考えられていた
マクルーハンは、メディアそれ自体が身体性をもっており、上にのるメッセージ以上の影響を人々に与えてしまうことを見抜いた
「コンピュータリテラシー」という言葉をアラン・ケイがつくった
P.183
パーソナルコンピュータ、オブジェクト指向、コンピュータリテラシー、教育論、メディア論
上記は 4 つの論文に散在した内容だけれども、ひとつの流れの中で理解しなければならない
>『すべて』の人々がメッセージを作るだけでなく『メディアを作る』ことができるようになるためにはどうすればいいか
P.184
>ネットワークがコンピュータである (The network is the computer)
サン・マイクロシステムズのキーメッセージ、ジョン・ゲージによって生み出された金言
P.188
ESP game
P.190
フォン・アーン
ヒューマンコンピューテーション
第 9 章 パラレルワールドを生きること
P.197
核 : マスメディア
膜 : 身体環境メディア
網 : ネットワークメディア
労働のゲーム化と、ゲームの労働化
P.204
株式会社バリュープレス
労働を RPG 化している
P.206
電脳コイル
P.208
>20 世紀は「正義」の時代であったが、21 世紀は「ゲーム」の時代になるであろう
第 V 部 法と軍事
第 10 章 構成的社会契約論
P.211
10.1 問題の所在
>皆が見ている共通の現実という幻想が崩れ、人々は別々の現実を現実を生きるようになる
>近代は、たしからしいものを共同で信じては、大破綻を目にして幻滅するというプロセスを繰り返してきた
信仰と幻滅の振動現象
共同幻想が大きければ大きいほど、その反動としてのカタストロフィーも大きくなる
>制度や倫理が外から与えられるものではなく自ら生成していくものであるという認識
P.212
第一に、他者の立場に立つこと
第二に、たしかなものなど何もないという感覚
たしかなものがあるという感覚が社会的に集積すると、大きな破綻を生み出す
うつろいの感覚
第一を空間的というならば、第二は時間的
>いわば、社会的身体性の拡張と収縮を自在に可能としつつ、その身体感覚の限界と非不変性を感じる
>次節では、社会契約論を新たな視座から見直していき、生成と崩壊を内在するような社会を提案することにしたい
P.217
10.3.1 契約の自動実行
不審者が入れないビル
非喫煙者の前では火がつかないタバコ
P.218
契約を記述する言語 CyberLang
P.221
10.3.3 構成的社会契約が実現した社会
>ひとつの極端な思考実験として、世界中が単一の社会ルールによって運営されている社会を考えてみよう。この社会では、それぞれの地域の文化的風土や価値観の違いは無視され、単一のルールによって物事が解決されていく。世界中のさまざまな価値観がひとつになるまで強制的にルールが適用され続けるか、あるいは価値観がルールと折り合わず、各地域で抵抗運動が勃発するかもしれない。こうした完全にフラットな社会は実現可能性が低いばかりか、実現してしまうと文化的多様性を失わせ、杓子定規なルールが人々を苦しませることになる。
第 11 章 敵
P.228
11.1 シュミットの銀河系
>敵と味方を区別することほど、なめらかさに反する認識はないだろう
終章
P.241
>もしこの本にわずかばかりの独創性があるとすれば、それを具体的で、数学的に形式的で、実行可能な方法として、人々にとって想像できるかたちとして提示したことかもしれない
>構成的社会契約や公敵なき社会の構想は、そうした数学的モデルを提示できる段階に達していない。にもかかわらず本書でそうした構想を述べたのは、読者の頭の中にある種のイメージのクオリアを立ち上げることができれば、著者にとって十分に成功だからである
あとがき
P.253
「行動の離散化についてどう思う?」やばすぎる…
P.254
>みなさんの協力がなければ、本書はこうしたかたちで生まれることはなかったであろう。にもかかわらず本書の責任は著者の私にあるというのがよくある表現なのだが、どうも納得がいかない。ここで名前を挙げたみなさんも、挙げられなかった方々にも、本書の内容には少しずつ責任を持っていただこうと思う。
めちゃいい…!
>きっと上記の方々や読者を含む世界のあらゆる存在が、私というインターフェイスを通して本書を書き上げたのではなかろうか。そう考えれば多少は納得がいく。とすれば、謝辞というよりも著者一覧なのかもしれない。
P.255
>世界は生成するものであり、あなたは世界に参加しているのである。
全体
人物名のあとの括弧の中に、どの学問を専攻している人なのかが書かれていておもしろい
ex: 神経科学、生物学、心理学、ロボット工学、哲学、経済学、社会学、計算機科学、はては発明家、デザイナーなど
これらを通じて、とても広範な話を扱っているのだ、とわかる
書籍においては読点は「,」だったけれど、
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の入力の都合で引用部においても「、」としている