「やさしさ」の正体
>息子1が「学校行きたくない、今日は寝ていたい」と泣くので、とにかく風呂に入れと促し、風呂上がりに豚しゃぶを食べさせた。肉を何枚も入れ、豆腐も食べごろだとすすめ、肉と葱を一緒に食べるとさらに美味いと教えたらご飯を全部食べ、普通に学校へ行った。食べなかったら休ませようと思った。
これに対する反応で「やさしさ」「やさしい」という語彙が使われているのを見て、興味を持った
「易しさ」ではなく「優しさ」の方、kindness のお話
>① 穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。「気立ての―・い女の子」
>② 思いやりがあって親切だ。心が温かい。「―・い心づかい」
件の @hug_yama さんの行動が「やさしさ」から生じたものなのかどうか、@hug_yama さんの人格に「やさしさ」が宿っているのかどうかは、他者からは観測できないのでわからないと思う
決して「この人はやさしい人じゃありません」と主張したいわけではない
極端な話、A さんと B さんをつれてきて「どちらがよりやさしい人か」を結論づけるのは困難であろう
ツイートのエピソードから言えることは、
@hug_yama さんは、息子さんの訴えに耳を傾けた
@hug_yama さんは、息子さんの無気力の要因が肉体にあると仮説を立て、その仮説をもとに有効そうな対処を実施した
@hug_yama さんの対処が功を奏し、息子さんの無気力状態は解消された
上記を元に考えると、@hug_yama さんは、
他者の訴えに耳を傾ける態度を有している、頭ごなしに封殺したりしない
息子さんのためにいくらかの労力を費やす方針を採れる
肉体と精神の関連について、暮らしに役立つ
知識を持っている
(もし、息子さんをなるべく学校に行かせたいのだとしたら) 息子さんをうまく登校につなげられた
(もし、息子さん自身がなるべく学校に行きたいのだとしたら) 息子さんはうまいこと登校できた
こんな整理になりそう
ここで比較のために、いくつか別のケースを想定してみる
便宜上、@hug_yama さんのケースを (A) とラベリングする
(B)「四の五の言わずに学校に行け!」と応じる父親のケース
(C)「そっか、行きたくないか、でもがんばって行こうな」と応じる父親のケース
(B) のケースは「とにかく登校する」という結果は果たされるかもしれないけれど、息子さんはしんどそう、そのやりとりを見ることになる母親もしんどそう、という印象で、周囲からも「やさしい」という語彙は出てこなそう
(C) のケースも「やさしい」という評価はそれなりに得られそう、説得がうまくいけば登校できるだろうし、やっぱり登校はできないかもしれない、登校するにしても無気力状態に鞭を入れて肉体を動かすような状況
3 つのケースの整理
(A) やさしい、スマート、上手、全員がハッピー
(B) 厳しい、しんどい、それでも「登校する」という結果は得られる
(C) やさしい、息子さんの肉体はしんどいかもしれない
こうしてみると「
傾聴」や「受容」が、人の目には「やさしさ」として写るのかもしれない?と思えた
@hug_yama さんのツイートを見ての
の感想は「スマート」「上手」「
教養って大事だ」だったので、感想の中心に「やさしさ」を据える人たちがいることに興味を持ったのだと思う