上下関係構造のデメリット
情報の停滞化
> ルーカスフィルム、次にピクサーに移ると部下がどんどん増え、次第に社員の自分に対する態度が変わってきたことに気がついた。NYIT時代の同僚たちは私をただのエドという人間として見てくれたが、今の部下は、私を「重要な会社」の「重要なマネジャー」として見ていた。そして私の立場が変わるにつれ、私がそこにいるとわかると、口調や行動に気を使うようになった。私のふるまいがそうさせたのではないと思う。私の立場のせいだ。そのため、かつては「内情」に通じていたのに、どんどん疎遠になり掌握できなくなった。徐々に私の視界から、不機嫌、不平、無礼な態度をとる人が消えた。あくまで私の視界からだ。社員が私の前では悪い態度を極力見せまいとしていた。私は輪の中に入っていなかった。それをつねに念頭に置くことが重要だった。
> 今述べているような現象は、人間の基本的な防衛本能に固く根ざしている。心当たりのある人も多いだろう。誰もが知っているとおり、社員は上司の前では最高の自分を見せようとし、それより劣る自分は、同僚や配偶者やセラピストのためにとっておく。ところが、( たぶん従われることに気をよくして)そうと気づかないマネジャーがあまりにも多い。「あなたが昇格したので、今後はこれまでのように腹を割って話すことができません」とわざわざ言いにくる人がいるだろうか。それどころか新人リーダーの多くが、それまでどおり内情を把握できると勘違いしている。
> 本来は効果的であるはずの階層制度が、進歩を妨げるものに変わってしまうきっかけは何か。それは、自分や他人の価値を無意識に序列の上下と同一視する人が増えたときにそうなる。そのため、上司の心証をよくすることに全精力を注ぎ、組織図上自分より下の人には扱いがぞんざいになる。しかも無意識のうちに、動物的な本能に従ってそうしているように見える。ヒエラルキー自体が問題なのではなく、人の価値をランクに基づいて判断するといった、ヒエラルキーに付随する個人的・文化的な思い込みによるところが大きい。人がどんな理由でどのように他人の価値を決めているかを考えなければ、ほぼまちがいなくこの罠にはまる。
> 部下に取り入られている上司を例に挙げよう。あからさまなごますりではなく、もっとさりげないお世辞などだ。上司はどう見ているのだろうか。その上司の目に映るのは、仕事熱心で自分を喜ばせようと思っている部下だ。それを好ましく思わない理由があるだろうか。上司は、上司が聞きたいことを言うのが上手な部下と、チームプレイヤーとを見分けることができるのだろうか。上司は、何かあればほかの部下が「あの人の言うことは信用しないほうがいい」と警告してくれることを期待しているかもしれないが、告げ口をしたり、やっかんでいると思われたい部下はい
>リーダーの視界は、リーダーにおべっかを使うのが上手な部下に邪魔をされる。たった一カ所から見下ろすだけでは、集団に働く力学の全貌を捉えることはできないのだ。よく見る光景だが、人は自分が実際に見ている以上に見えていると思っているため、自分で自分の視界を歪ませていることに気づいていない。
出典
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「上下関係にこだわる人を、絶対に入れたくない」という会社の話。