『ライト、ついてますか』
副題:問題発見の人間学
目次
第1部 何が問題か?
1.問題
問題は何なのか?
問題を抱えているのは誰か?
キミの問題の本質は何か?
2.ピーター・ピジョンホールの陳情書
「何がまずいか」をどう決めるか?
まずいのは何か?
そのために,何ができるか?
3.キミの問題は何か?
問題とは,望まれた事柄と認識された事柄の間の相違だ
幻の問題は本物の問題
第2部 問題は何なのか?
4.ビリー・ブライトアイズの最適入札
彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな
彼らの問題をあまりやすやすと解いてやると,彼らは本物の問題を解いてもらったとは決して信じない
5.ビリーが舌を噛んだ
解法を問題の定義と取り違えるな―ことにその解法が自分の解法であるときには注意―
6.ビリー再び入札者のもとへ
問題の正しい定義が得られたかどうかは決してわからない―問題が解けたあとでも結論に結びついてはいけないが,自分の第一印象は無視するな
第3部 問題は本当のところ何か?
7.おわりのない連鎖
すべての解答は次の問題の出所
問題によっては,それを認識するところが一番むずかしいということもある
キミの問題理解をおじゃんにする原因を三つ見つけられないうちは,キミはまだ問題を把握していない
8.不適合を見落とす話
結論に飛びつくな,だが第一印象を無視するな
キミの問題定義を外国人や盲人や子供について話してみよう
またキミ自身が外国人や盲人や子供になってみよう
新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す
9.うまいレベルに着陸する話
問題文をどう変えたら,解答を変えることができるだろうか?
自分は何を解いているのか?
10.意味に気をつけよう
問題が言葉の形になったら,それがみんなの頭に入るまで言葉をもて遊んでみよう
第4部 それは誰の問題か?
11.煙が目にしみる
それは誰の問題か?
他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに,それを解いてやろうとするな
もしそれらが彼らの問題なら,それを彼らの問題にしてしまえ
12.構内は車で一杯
それは誰の問題か?
もしある人物が問題に関係あって,しかもその問題を抱えていないなら,何かをやってそれをその人物の問題にしてしまおう
変化のために自分を責めてみよう―たとえほんの一瞬でも
13.トンネルのかなたのあかり
それは誰の問題か?
もし人々の頭のライトがついているなら,ちょっと思い出させてやる方が,ごちゃごちゃいうより有効なのだ
第5部 それはどこからきたか?
14.ジャネット・ジャウォルスキー変人と衝突
この問題はどこからきたか?
15.ミスター・マーチン事態を収拾
この不作法さはどこからきたか?
16.仕事する人いばる人
その問題はどこからきたか?
世界には2種類の人がいて・・・・・・
17.試験について
その問題はどこからきたか?
誰がこの問題よこしたか?
それは私をどうしようというのか?
第6部 われわれはそれをほんとうに解きたいか?
18.トム・タイヤレスのおもちゃいじり
ちょっと見たところと違って人々は,くれといったものを出してやるまで何がほしかったか知らぬものである
19.政治には忍耐が肝要
あとから調べてみれば,本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ
20.ある特務
私は本当にそれを解きたいか?
本当にほしいかそれを考えるひまはないもの,後悔するひまはいくらでもあるもの
魚,水を見ず
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第1部 何が問題か?
1.問題
p4
> われわれは腹の中に問題を解きたいという自然の欲求をもっているために、どうやらせっかちに解答に飛び込んでしまったようだ。たぶん答えをいう前に、2、3の問いを発した方が賢明であろう。
> だがそれはどういう種類の問いか? それは誰にとって問題なのか、何が問題なのか、ないしは問題とは何か、というのがそれである。
問題は何なのか?
急ぎたい気持ち
> 未熟な問題解決者は、きっと解くべき問題を定義する時間を惜しんで解答にとびつくものである。経験を積んだ問題解決者すら、社会的圧力にさらされると、この「急ぎたい」という気持ちに負ける。負けてしまえば、解答はたくさん見つかるが、それが解くべき問題の解答だという保証はない。
慎重すぎてまずいことになる
>つねに問題の定義への無関心ゆえにつまずく、というわけでもない。いつまでも何とか問題を定義しようとして堂々めぐりをし、定義はひょっとして間違っているかもしれないがともかく解答を出してみよう、という勇気がどうしても出ないためにまずいことになる、という例もある。
進むか止まるか、別の方法か
> 実際問題として、自然発生的日常的な問題を、曖昧さを含まない一つただ一つの形で定義することなど不可能である。だが一方、問題についての何らかの共通理解がなかったら、解答を出してみたところで、まず間違いなく間違った問題に対する解答と成り終わる。たいていの場合それは、一番大声を出した人の問題、または一番上手にしゃべった人の問題であるにすぎない。あるいは銀行の預金残高が一番大きい人の問題ということもあるかもしれない。
問題群の解決者
> 他人の問題を解くことを問題としてもっている問題解決者予備群にとって、最良の手がかりは、精神的に単数形から複数形への切り替えをすることである。つまり問題解決者であることをやめて、問題群解決者になるのである。または、もしそんな言葉は発音しかねる、ということなら問題群の解決者といいなおしてもいい。
> この精神的切り替えの練習をするには、早い時期から次の問いに答えようとしてみるのがよい。
2.ピーター・ピジョンホールの陳情書
問題の三つの問題
3.キミの問題は何か?
第2部 問題は何なのか?
4.ビリー・ブライトアイズの最適入札
教訓 彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな
教訓 彼らの問題をあまりやすやすと解いてやると,彼らは本物の問題を解いてもらったとは決して信じない
5.ビリーが舌を噛んだ
教訓 解法を問題の定義と取り違えるな。ことにその解法が自分の解法であるときには注意
6.ビリー再び入札者のもとへ
> 多分真の問題とは、ほかの人がみな、そういうことをしているのは自分一人だ、と思い込んで入札を変更しつつある、という状況下で自分の入札をどう変えたらよいか、というものなのであった。いや、それでもまだ不十分だった。なぜなら、中の一人がそうと気づいたとすれば、ほかの人たちも気づいたはずだからだ。
> とすれば、多分問題はより深いものであったのだ。つまりそれは、ほかの人々が入札を変更しつつあるということを知りながらこちらが入札を変更しつつあるとき、そのことを知りながら他の人々全員が入札を変更しつつあるという状況下で、入札をどう変更したらよいか、という問題だったのである。だがそれは結局のところ秘密入札と同じことではなかったのだろうか?
> だが待てよ。もしある会社が、他社がこちらの入札ーーそれはあとで変更できるーーを見るだろうということを知っていたとしたら、その会社は、はじめはほかの会社を惑わすような入札をするであろう。4社のうちどれかが、「秘密の」入札を買わせることによって、他社を放り出そうとくわだてた、というようなことはなかったのか? または4社全部がそうしたのではないか? その場合問題は他社を、こっちが望む方向に、知らない間に惑わすような第1回の入札を作るにはどうしたらよいか、というものであるのだ。
問題解決の本当の問題点
>問題の正しい定義が得られたかどうかは決してわからない、問題が解けたあとでも
教訓
>結論に結びついてはいけないが、自分の第一印象は無視するな
問題は何か?
>ビリーをはじめ、関係者みんなが間違ったのは、問いが重要なら答えも重要であるはずだ、と思い込んだためであった。「そうじゃないんだ。」とビリーは心もうつろに郵便箱を空けながら、ひとりごとをいった。「全然そうじゃないんだ。問題を扱う上で本当に大事なのは、問いは決して答えられることがないと覚悟することなんだ。だがそれは、問いは続けている限りは、どうでもいいことなんだ。だまされて究極の解答を得たと思い込むのは、まんまとだまされて究極の問題定義、つまり究極の、真の答えを得たと思い込んだときに限るんだ。で、そう思ったとしたら、それは必ず間違いなんだ。なぜなら『究極の答え』なんてものは存在しないからだ。」
教訓
正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。だがその確信を得ようとする努力は、決してやめてはいけない
第3部 問題は本当のところ何か?
7.おわりのない連鎖
すべての解答は次の問題の出所
> 問題とは認識された状態と望む状態の間の相違なのだから、ある問題を「解く」ために状態を変えると、一つ以上の別の問題を発生されることになるのがふつうである。
> われわれは決して問題を追い払うことはできないのだ。問題と、解答と、そして新しい問題は、終わりのない連鎖を織り出している。期待できるのはせいぜい、「解いた」も明代がよりやっかいさの少ない問題で置き換えられることだけである。
> ときにわれわれは問題を、他人の裏庭、またはお尻に放り込むことによって、よりやっかいさの少ないものに変えることができることもある。この技法は問題の転嫁と呼ばれ、意識的、または無意識的に実施されて極めて有用であることが多い。だがたいていの場合、新しい問題は無意識的に作り出される。
>問題によっては、それを認識するところが一番むずかしいということもある
しかもその問題を知らない人にとって、問題の結果がどのように自分に影響しているか気づいていない
>キミの問題理解をおじゃんにする原因を三つ見つけられないうちは、キミはまだ問題を把握していない
8.不適合を見落とす話
>問題の転嫁という問題は設計家、つまりほかの人々のために問題を事前に解くことを商売にしている連中の存在によって一層面倒なことになっる。設計家はビルの持ち主と同様、自分達がやったことのもたらす結果を経験するということのまずないものである。だから設計家は絶えず不適合を作り出す。ここで不適合とは、その解決策とつき合わなければならない人間とうまく合わないような解決策のことをいう。不適合のうちには、ずばり危険なものもある。
> たいていの不適合は、認識さえすれば容易に解ける。たまには「然るべき権威筋」に何かやってもらわなければならないこともあるが、たいていは不適合とつき合わなければならない者の方から処理できるものだ。人間というものは実に適応力に富んだものだから、ほとんどどんな種類の不適合にも身を合わせてしまう。ただしそれは、当人たちが実はそうでなくてもいいのだ、ということに気づくまでのことである。そのとき、トラブルが起こる。
>近年米国で、エネルギー「危機」への対策として自動車の制限速度が55マイル(88キロ)に引き下げられたとき、「危機」が解消し次第、もとの65マイル(104キロ)またはそれよりもっと高い水準に戻ることはたやすいと、誰もが考えた。ところが各方面の、制限速度が高いことで得をする人々にとって残念なことに、制限速度が下がったとたんに、事故率と事故死亡率ががたっとさがってしまった。この壮大な「実験」がおこなわれるまで、なぜ毎年5万人もの人々が交通事故で死んでいるのかはっきり知っている人はいなかった。自動車製造会社は運転者を非難していた。だが本当に制限速度を高くしているのが悪いといって為政者を非難する人はいなかった。
> すべての事故を制限速度のせいにすることはできないが、そのかなりの部分がそのせいなのだ、ということが事実によって示されたのである。その数ヶ月の間に変わったのは公衆の、車と運転者と道路の間の不適合に対する認識であった。だがこれは何という大きな変化であったことか! 制限速度が次第にもとの致死的な水準に戻るまでには何年もかかるだろう。もしそれがあまり速く上昇したら、誰かが変化に気づいてしまうだろうから。
再び、結論に飛びつくな,だが第一印象を無視するな
キミの問題定義を外国人や盲人や子供について話してみよう
またキミ自身が外国人や盲人や子供になってみよう
> スイスからはじめての旅行者にアメリカ紙幣を見せてみるがいい。相手はきっとこういうだろう。「でもみんな同じ大きさじゃありませんか。盲人はどうやって区別するんですか?」そこで読者は当惑して黙ってしまうことになるだろう。というのは、盲人でない限り、お金についてそういう風に考えたことは決してないからだ。
新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す
9.うまいレベルに着陸する話
>問題1 この図はごく見慣れたものを示している。これは何だろうか?
○
>丸さ! これがたいていの人が、ためらわずにいうことである。仮に解けたとしても解くのに一生かかるような問題が山ほどある一方で、なぜ彼らはこの問題をそんなにずばやく解けるのだろうか? いや、実は彼らがそれを本当に解いたのかどうかには疑問の余地もあるのだが……。問題解決に手をつけることのあれほどの難しさにもかかわらず、つまりこれまでのいくつかの章に満ち満ちているあれほどの当惑にもかかわらず、人々はこの問題を、そしてこれ以外の何千という問題を、確かに解くのである。まさにわれわれが、問題というものは解けっこないものだなどと信じ込みはじめた、その瞬間にである!
> われわれは、たいていの人々が問題1を解くのと同じような素早さで問題を解いたかに気づかないかもしれない。そりプロセスを明るみに出すための一つのよい方法は、
>問題文をどう変えたら,解答を変えることができるだろうか?
>と自問してみる、というものである。いまの場合、問題文が大きな助けになっている。なぜか? 多分ポイントは「見慣れた」という言葉にある。問題文を次のように変えてみることによって、この仮説を試してみよう。
>問題 2 この図はあるものを示している。これは何だろうか?
>または「見慣れた」は残しておいて、「ごく」だけ取り除いてみてもよい。
>問題 3 この図は見慣れたものを示している。これは何だろうか?
>またさらに強力なテストは、肝心の言葉の意味を逆転してみる、というものである。
>問題 4 この図はきわめて見慣れないものをして召している。これは何だろうか?
>問題文にこういう「どうということもない」変更をしたときどうなるかはパーティ向きの愉快なゲームのもとにも、また科学的実験のもとにもなる。何人かの人、またはいくつかのチームに、同じものについての少しずつ違う問題文を与えるのである。パーティー向きのゲームでは、解答を披露して、みんなに他の人がどんな問題文をもらったか当ててもらう。科学的実験でき、回答を分析して人々が
> 著者らが実験した範囲ではも、問題1の解答者の圧倒的多数は「丸さ。」と答える。「非常に」という言葉を省くとその比率がさがる。「見慣れた」が消えると比率はさらにさがり、もとの問題で「見慣れた」の「た」を「ない」になおしたとたんに、0に急落する。その常識的な解答に変わって、「穴」とか「フラフープ」とか、「鉛筆を消しゴムの側から見たもの」とか、「扁球面の断面」とか、「ルテチウムで作った硬貨」とか、「こっくりさんにはめ込んである丸いレンズ」とか、「ヘップルホワイト風豪華食卓椅子のまん中の飾り」とか、「反体制派の蜜蜂の巣の一部」とか、「プラモデルのヘリコプターの着陸版」とかいった答えが帰ってくる。
> 一方、問題4に対しては、どんな答えも出したがらないという人も非常に多い。ほかの3問に対しては、たいていの人が何か考え出すにもかかわらず、である。どうして返事をしないのかと聞くと、彼らはたいてい、この問題が「解ける」見込みはあまりに少ないから、間違う危険を冒すだけの値打ちはないと思った、と答える。この分析が正しいかどうかは、問題をもう一度、次のように変えてみることによってテストできる。
>問題 5 この図はきわめて見慣れないものを示している。
>それは何であるか、できるだけ突拍子もないものを考え出せ。
>こうなっていれば、答えを何か考え出すのに困難を覚える人はほとんどいない。こちらは「正解」を求めているのではなくて、彼らの意見を求めているのだ、という風にみえるので、威嚇的雰囲気の大部分が消滅するのである。
>問題定義のうんざりするような道筋をさまよっているときは、ときどき立ち止まって、迷子になっていないか確認しよう
10.意味に気をつけよう
>問題が言葉の形になったら、それがみんなの頭に入るまで言葉をもて遊んでみよう
「Mary had a little lamd.」
メアリは一匹の小さな羊を持っていた。
Mary had a little lamd.
>つまり「メアリは一匹の小さな羊をもっていた」が、ジョンは持っていなかった。
Mary had a little lamd.
>つまり「「メアリは一匹の小さな羊をもっていた」が、いまはもう持っていない。
Mary had a little lamd.
つまり「「メアリは一匹の小さな羊をもっていた」が、2匹3匹とは持っていなかった。
Mary had a little lamd.
>「「メアリは一匹の小さな羊をもっていた」のであって、キミの思ったように大きな羊を持っていたわけではない。
Mary had a little lamd.
「「メアリは一匹の小さな羊をもっていた」のであって、あの犬はヘンリーのだ、メタリのじゃない。
>それどころか、単語を1語だけでなく、2語、3語、4語、5語強調してみることもできる。すると一つ一つの組み合わせが゛、事実の「単純」な記述に違った意味を与えることになる。
> 通常の場合、言葉遊びは好ましくない解答よりは安上がりである。言葉遊びを使って、問題定義らしきものをたっぷり攻撃してみることは、値打ちがある。
言葉遊びで検証
>3.「てもよい(may)」を「なければならない(must)」に変えてみる。またその逆をやる
>4.「または(or)」を「と……の一方(either or)」に変えてみる。
>5.「および(and)」を「または(or)」に変えてみる。
>6.積極的に定義が与えられている述語を選んで、文中にそれがあらわれた場所を定義の文句で置き換えてみる。
>7.「等」、「以下同様」「ほか」などとあったら、そこにもう一つ実例を加えてみる
>8.説得的な言葉ーー「明らかに(obviously)」、「ゆえに(therefore)」、「明瞭に(clearly)」、「確かに(certainly)」などーーを捜して、それが代表しているはずの論証でそれらを置き換えてみる。
>9.文またはパラグラフがあらわしているものを絵に描いてみようとする
>12.図が何をいっているかを言葉であらわそうとしてみる
>13.「読者(you)」を「筆者(me)」で置き換える
>14.「筆者(me)」を「読者(you)」で置き換える
>15.「われわれ(we)」と「読者(you)」を「双方(both parties)」で置き換える
>16.「一つの(a)」を「その(the)」、「その(the)」を「一つの(a)」で置き換える
>17.「一部の(some)」を「全部の(every)」で置き換える
>18.「全部の(every)」を「一部の(some)」で置き換える
>19.「つねに(always)」を「あるとき(sometime)」で置き換える
>20.「あるとき(sometime)」を「決して……ない(never)」で置き換える
第4部 それは誰の問題か?
11.煙が目にしみる
それは誰の問題か?
たばこの煙は誰の問題か?
・たばこを吸わない人
・たばこを吸う人
・教師
・校長
・その他のひと
・上記全員
・だれでもない
もしたばこを吸う人を問題だと扱ったら
>禁煙を義務化し、タバコのみに授業を放棄するか歯ぎしりさせるかの選択を迫る
教訓
>他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな
>もしそれらが彼らの問題なら、それを彼らの問題にしてしまえ
12.構内は車で一杯
それは誰の問題か?
教訓
>もしある人物が問題に関係あって,しかもその問題を抱えていないなら,何かをやってそれをその人物の問題にしてしまおう
教訓
>変化のために自分を責めてみよう、たとえほんの一瞬でも
13.トンネルのかなたのあかり
>注意 前方にトンネルがあります ライトをつけてください
トンネルを抜けた先の広場で休憩していたところ、ライトをつけっぱなしにしてしまって、バッテリーが上がってしまった人たちが続出した。
技師は考えた。
>1.トンネルの出口に「ライトを消せ」という標識を出すことが考えられるけれど、それだと夜中にライトを消す人があるかもしれないわね。
>2.状況を無視して、人々に勝手に……、いや、それはだめだわ。現在そうなっていて、役所の方では技師がだらしないか仕事をしたと思っているんだから。
>3.展望台にバッテリー充電施設を置くことはできるけれども、維持費が大変だし、もしこわれていたら人がもっと腹を立てるでしょね。
>4.私企業に充電施設の営業権を与えることも考えられるけれど、それでは展望台を商業化することになって、州政府にも観光客にも受け入れられないでしょうね。
>5.トンネルの出口にもっと詳しい標識を出すことも考えられるわね。
>技師は、もっとくわしい標識は考えれば考えられるはずだ、と直感的に感じた。彼女はいろいろやってみたあげく、とうとう次のような、スイス的厳密性の大傑作に到達した。
>もし今が昼間でライトがついているならライトを消せ
>もし今暗くてライトが消えているならライトをつけよ
>もし今が昼間でライトが消えているならライトを消したままとせよ
>もし今暗くてライトがついているならライトをついたままとせよ
>もし人々の頭のライトがついているなら,ちょっと思い出させてやる方が,ごちゃごちゃいうより有効なのだ
第5部 それはどこからきたか?
14.ジャネット・ジャウォルスキー変人と衝突
叔母に会いにジャネットは旅立ったが、移動中、役人に止められた。、
この問題はどこからきたか?
15.ミスター・マーチン事態を収拾
この不作法さはどこからきたか?
灰色顔からミスター・マチーチン氏へ
教訓
>問題の出所はもっともしばしばわれわれ自身の中にある
16.仕事する人いばる人
その問題はどこからきたか?
>世界には2種類の人間がいる。仕事をする連中とほかの連中に仕事をさせる連中だ。仕事させ屋から遠ざかっていれば大丈夫。
>世界には2種類の人間がいる。仕事をする連中と手柄を立てる連中だ。仕事をする方に入っていたまえ。その方がずっと競争が少ない。
17.試験について
その問題はどこからきたか?
>伝統的に「問題解決」と呼ばれてきたものの多くは、実はパズル解決である。パズルはむずかしいように設計されているものだ。だがその難しさの背後には設計者がいる。われわれは、その設計者がこのパズルを、もしそれがふつうでないむずかしさを持たないのであれば選択しなかったであろう、ということを知っている。
> このむずかしくしようという努力自体が、皮肉にもわれわれに、最初の手がかりを与える可能性がある。
> 詰め将棋を考えてみよう。詰め将棋の問題(実はパズル)は、たとえば王手をかけるというような「自明」な手で解けることは決してない。人は詰め将棋の世界に首を突っ込むと、無意識に「それはどこからきたのか?」という問いを適用するようになる。その結果として、「自明」な手は除去されることになる。というのは、問題はよい問題であるためには「ひねって」なければならないからである。
第6部 われわれはそれをほんとうに解きたいか?
18.トム・タイヤレスのおもちゃいじり
用意された問題をできるだけ早く解く訓練をしてきてしまった
> われわれはたいてい学校に通ったことがある。通いすぎたことがあるといっていい。そのためにわれわれは、最初にあらわれた「問題」らしく見える文章に飛びつくという本能を身につけている。そしてそれをできるだけ速く「解く」。なぜなら、誰でも知っているように、試験ではスピードがものをいうからだ。
教訓
>ちょっと見たところと違って人々は,くれといったものを出してやるまで何がほしかったか知らぬものである
19.政治には忍耐が肝要
教訓
>問題解決者と解決問題者を問わず、自分の努力に対するこの主のサボタージュから免れられる者はいない。
>あとから調べてみれば,本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ
20.ある特務
私は本当にそれを解きたいか?
教訓
>本当にほしいかそれを考えるひまはないもの,後悔するひまはいくらでもあるもの