generated at
オルタナ右翼の源流ニック・ランド 2018.08.24
イギリスの哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「 #暗黒啓蒙 (The Dark Enlightenment)」というテキストを発表し、 #新反動主義 (Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義のエッセンスが #オルタナ右翼 の中にも流れ込んでいるとされている。そのもっとも直截な例は、オルタナ右翼系メディア『ブライトバート』(Breitbart)の元会長であり、またドナルド・トランプの元側近でもある #スティーブ・バノン で、彼は「暗黒啓蒙」のファンであったことを公言している。
#加速主義 は、フランスの現代思想家ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによる共著『アンチ・オイディプス』から多大な影響を受けている。、その中で「脱領土化」という概念が出てくる。これは一言でいえば解体のプロセスであり、土地や貨幣がグローバルに流動化していく資本主義、そして自我が解体していく分裂症患者に見られるプロセスであるとされる。
加速主義は前者の「脱領土化」のプロセスのみを徹底的に、特異点に至るまで、推し進めようという立場である。
特異点の向こう側の「外部」(Outside)から到来する全き未知の「出来事」、それをただ受け容れ、歓待することしか我々にはできないのだとランドは言う。
ランドの思想は、この「外部」からのシグナルをキャッチするためのあらゆる実験的な実践と化す。エッセイとも論述ともつかない混濁した、時には錯乱したその文体に、ナノテクノロジー、未来学、 #サイバネティクス 、暗号学、オカルティズム、サイバースペース、クラブミュージック、SF、そしてラヴクラフトのクトゥルフ神話など、多岐にわたる分野への言及が加わり、その混沌の度合いを高めている。
ランドの代表的なテキストのひとつ「Meltdown」は、技術的特異点としてのメルトダウンが、近代的な社会体制を溶解させていくさまを黙示録的なホラーとして叙述する。ここに至ってランドの思想は、にわかに宿命論的な終末論、あるいは一種のコズミック・ホラーの趣を醸し出してくる。
ニック・ランドの積極的ニヒリズム?にはこれ以外にも、エントロピー理論における「熱的死」、フロイトの「死の欲動」、アントナン・アルトーの「器官なき身体」など、いくつもの概念が折り重ねられているのだが、その根底には苛烈な人間中心主義批判の精神がある。アンチ・ヒューマニズム
ランドは、人間性を保守しようするあらゆる既存の体制、価値観、思想、社会を一括してヒューマン・セキュリティ・システムと呼び、そこからの脱出を促そうとする。 この「ヒューマン・セキュリティ・システム」の内部に安住している限り、我々は自分たちを縛っている思考の「外部」へ突破することはできない。ランドにとって「外部」という、いわば思考しえないものを思考しようとする試みは、端的にいえば「人間をやめる」ことによってのみ達成されるのだ。
グッドマンは2000年に「driftline」というネット上の哲学系フォーラムに「Hyperdubとは何か?」というタイトルの投稿を行い、「Hyperdub」を人間とマシンを複製化する情報ウィルスと定義づける。実際、その後ダブステップはまさにウィルスのようにゼロ年代のUKクラブシーンを席巻していったが、その震源にはニック・ランドの思想があったと言える。
今や、崩壊は近づいていた。ランドは、「意味」という呪縛に囚われている言語に背を向け、次第に数秘術めいた数字の実験にのめり込むようになった。人間的な「意味」の制度からも、さらには数学という制度からも引き離された離散的な数字の痙攣のみが、未知の「外部」との交信を可能にするはずなのだ。ランドはそのように確信していた。
ランドは「加速」しすぎた結果、「解体」と「崩壊」のプロセスを身をもって実践してみせたのだ。実験は終わりを告げた。
1998年、CCRUが解散すると同時にランドも大学を去った。アカデミズムのみならず、表社会からも完全に姿を消したかのように見えたが、ゼロ年代に入ると突如ランドは上海に居住するジャーナリストととして再び浮上してくる。
そんな折、ランドはインターネット上で興味深いブロガーを発見する。メンシウス・モールドバグ(Mencius Moldbug)というハンドルネームで活動するその人物は、2007年ごろから「Unqualified Reservations」というブログで、自身の思想を断片的に開陳していた。
メンシウス・モールドバグ、本名 #カーティス・ヤーヴィン (Curtis Yarvin)。アメリカ生まれのソフトウェア・エンジニアで、カリフォルニアはシリコンバレーにおいてスタートアップ企業を営んでいる、言ってみればアメリカのリバタリアンに見られる典型的なタイプの人間である。
ヤーヴィンは、「自由と民主主義はもはや両立しない」というテーゼを、「自由にとって民主主義は悪である」と読み替え、かつそれを徹底的あるいは愚直なまでに推し進めようとする。ヤーヴィンの民主主義に対する怨嗟は、民主主義の起源である啓蒙思想とフランス革命の拒絶にまで及ぶ。 #啓蒙主義
一人の英雄的な君主(ヤーヴィンはそれを企業におけるCEOになぞらえている)が政策を取り仕切るシステムは、ヤーヴィン自身によって新官房主義(neocameralism)と命名される。2010年には、やはりリバタリアン系のブロガーArnold Klingが、ヤーヴィンとその周辺の論者の思想に「新反動主義(neo-reactionary)」という名前を与えている。
2012年、ヤーヴィンの一連の思想に共鳴するものを感じたニック・ランドは、みずから暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)と題した長大な文章をネット上に発表する。それはヤーヴィンがこれまで断片的に書き連ねてきた文章に体系的なまとまりを与えようとしたもので、新反動主義に一つのイデオロギー的基盤を与えることに貢献した。
なお、暗黒啓蒙とは、ここではフランス革命に影響を与え、その後の民主主義を培ってきた啓蒙思想に対する皮肉を交えたアンチテーゼの意味が込められている。
17世紀の西洋に到来した啓蒙思想は、普遍的な「理性」の光のもと人類は進歩へ向けてたゆまず歩んでいく、という歴史観に一定のモデルを与えた。しかしランド、ヤーヴィンによれば、そのような光の啓蒙の時代は終わり、今や再び暗黒の時代が訪れようとしているのだという。
アメリカ西海岸のリバタリアンに見られる、60年代ヒッピーカルチャー由来の反体制的=左翼的価値観と、80年代ヤッピー以来のアントレプレナーシップ&経済保守=共和党的価値観を併せ持つ矛盾した精神は、揶揄的な意味を込めてカリフォルニア・イデオロギーと呼ばれることがある。さしずめ新反動主義は、そのカリフォルニア・イデオロギーに、民主主義に対する呪詛と英雄主義をまぶした異形の思想といえるかもしれない。
ランド&ヤーヴィンが打ち出したキーコンセプトの一つに「大聖堂」(Cathedral)というのがある。
「大聖堂」とは、言ってみれば現代のリベラル社会そのものであり、同時にそのリベラル社会を支えている諸々のイデオロギーを指している。
オルタナ右翼が好んで用いるミームの一つに、レッド・ピルというのがあるが、「大聖堂」はこの「レッド・ピル」とも深い部分で共振し合っているように思う。このレッド・ピルミームは、リベラル社会が見せる幻想=欺瞞を告発するためにオルタナ右翼が用いる符丁と化している。
とりわけ近年では、ジェンダー論的な文脈において頻出するようになっている。いわゆるマノスフィア(manosphere) という、苛烈なミソジニーを基調低音とする界隈において、「レッド・ピル」は重要なメタファーとなっている
彼らは、フェミニズムを伝統的な価値観を破壊し、社会を堕落させる宿痾とみなす