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JUNET
電話回線を用いて日本の学術組織を中心として構成された研究用コンピュータネットワーク
> 当時、世界では米国国防総省のARPAネットワーク、UNIXを中心としたUSENET、米国NSFCSNet、オーストラリアのACSNETなど数多くの「アカデミックネットワーク」が実現されていました。JUNETもそのひとつとして、世界中のアカデミックネットワークと国際接続を実現することにより、コンピューターネットワークの技術と文化の発展に貢献することを目的として構築が開始されました https://www.nic.ad.jp/ja/basics/terms/junet.html
> 村井氏らが回線工事の ために潜った慶應大矢上 キャンパス内のマンホール http://hiroshi1.hongo.wide.ad.jp/hiroshi/wide-wp/10th-Anniv/history/index.htm

1982年
慶應大矢上校舎内にネットワークを構築
> 1982年の3月、村井純氏に出会いました。
>その中の一つにAcknowledging Ethernetというネットワークインターフェイスがありました。これは、確認応答をEthernetレベルで送り返すことで、確実にデータを送り届ける仕組みを持たせたネットワークインターフェイスでした。当時はEthernetのハードウェアそのものも簡単に手に入る状況ではありませんでしたから、こうしたハードウェアから自作しキャンパスLANを構築しようとしていたわけです。このハードウェアを利用してシステムを構築する際に注目されたのがUNIXで、このUNIX使いとして白羽の矢を立てられたのが別の研究室にいた村井氏だったのでした。このキャンパスネットワークを構築するプロジェクトはS&Tnetプロジェクトと呼ばれ、2つの研究室で共同して進められていました。つまり、このプロジェクトが無ければ私と村井氏が出会うことはなかったかもしれません。
> 私は修士へ進学し、S&Tnetへも参加します。ここで村井氏とともにいくつかのプログラムを開発するのですが、その途中で時々村井氏がさまざまな便利なプログラムを持ち込みます。これらのプログラムのほとんどは今で言うOpen Sourceソフトウェアだったわけですが、当時はそのような概念も無く「USENET」というアメリカのネットワークから「怪しげ」に持ち込まれたらしいと聞き、なんとなくそーっと使っていました。「そういうネットワークがあるならどうしてうちも参加しないのだろう?」と聞いたりもしましたが、その理由を当時の私には理解できなかったと記憶しています。ただ、そういう世界に「わくわく」したことだけは確かです。
1984年
8月
東工大、慶應大間を接続(300bps)
> さらに月日を重ね1984年8月に村井氏が慶応を離れ東京工業大学へ移ります。しかし、村井氏との関係は切れることなく、慶応に残された村井氏のファイルを持って行ったり、村井氏が新しく導入したソフトウェアを受け取りに行ったりと、東工大と慶応の往復が繰り返されるようになりました。この移動がだんだん大変になってくるのですが、この年は翌年3月に通信の自由化を控え、雑誌にはモデムフォンの商品比較などが掲載されていました。これを見て、「こいつを使って計算機同士を接続したら面白いかな?」という話になったわけです。20万円弱で300bpsという今となっては信じられない価格と通信速度ですが、予算をひねり出し慶応と東工大を接続しました。これが1984年9月のことでした。 https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No29/060.html
10月
東工大、慶應大、東大間を接続(1200bps)
> この接続についていろいろなところで話していたところ、東京大学(当時)の石田晴久先生が「村井君。3つ以上つながってはじめてネットワークと言うのだよ」と言われ、1984年10月に東大を接続しました。後にJUNETと呼ばれるネットワークはこうしてスタートしたのでした。 https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No29/060.html
インターネット、ゴッドファーザー
東工大 村井氏
慶応大 砂原氏
東大 石田氏
1985年
1月
米国CSNETに初めての国際接続
> 日本のネットで,最初にCSNETとつながったのはJUNETである。85年1月に,USENET経由でCSNETと接続し,86年1月にCSNETと直通回線で結ばれた。 https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/NNW/NETPOINT/20050608/162375/
12月
> 村井純、田中啓介: "JUNETとその管理機能”、情報処理学会コンピュータシステムシンポジウム、 1985年12月 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/65733/oksn_065_035.pdf
> SUN3 60C  1985年  慶應義塾大学 CPUにMC68020を採用し、OSとしてはBSD UNIXをベースにTCP/IP、 NFS等のネットワーク機能を強化したSun OS 4を採用した。高解像度のビットマップディスプレイにSun View、Open Window、X Window等のGUIを用いることができた。 https://www.ipsj.or.jp/tosho/62_epoch2.html

1988年
8月
WIDEプロジェクト発足
> JUNETへの参加者が中心となり全国各地の研究機関などが参加できる広域ネットワーク「WIDE (Widely Integrated & Distributed Environment)」プロジェクトの発足 https://www.nic.ad.jp/ja/basics/terms/junet.html

1994年
10月
停止
> 最終的には約700の機関を結ぶネットワークになりました。 https://www.nic.ad.jp/ja/basics/terms/junet.html

国内回線の話
> ──民営化の前年の84年、それまで在籍していた慶大から助手として東京工業大学に移ったとき、データを物理的に移動させるのが面倒で、慶大と東工大を電話回線経由で勝手にネットワーク化したというエピソードがあります。それが「JUNET」という大学間ネットワークに発展し、結果として“疑似インターネット”みたいなものをつくってしまいましたよね。
> 北海道大学には慶應の先輩でのちに塾長になった安西祐一郎さんがいて、九州大学には荒木啓二郎さんがいて、「北から南まで、つなぐぞ!」と言って協力してもらった。ところが、電話回線を使ったダイヤルアップ方式だから、かなり長距離の電話代がかかる。東工大と慶應、東大は、同一または隣接区域内は大学が負担してくれる仕組みがあったから気にしないで済むけれど、長距離だとそうはいかない。だから、あまり大声では言えない方法を使ってね……。
> ──要するにハックしたと(笑)
> まぁ、タダで使える国立機関の電話回線というのがあって、それが最後の手段として使えることはわかっていたけれど、その手前でちょっとした実験をして、つながったわけ。NTTに嫌われていたかもしれないけど(笑)、当時のNTTのなかに数人は仲間がいたんですよ。
> それで、NTTの通研[編註:当時の電気通信研究所の通称。現在はNTT武蔵野研究開発センタ]に頼んで、まず三鷹まで引くわけ。そこで中継して、通研から北大や九大にかけると、通研っていうのは研究機関だから「実験」という名目で電話代のチャージを気にしなくて済んだ。
国際回線の話
> 次に国際回線。これが大変だった。当時のKDD[編註:国際電信電話。現在のKDDI]の研究所に、いまは東京大学名誉教授の浅見徹さんと、のちにJPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)理事になった小西和憲さんのふたりがいて、一計を案じてくれた。それは、KDDの国際回線とJUNETを接続して、海外のインターネット網からメールやNetNews[編註:電子掲示板システムの一種]を引っ張るという実験で。最初は実験だから通信料金が発生しないように配慮してくれていたけれど、社内で問題になった。それで、実費を回収する「InetClub(国際科学技術通信網利用クラブ)」という会員制クラブをつくってくれて、事なきを得ました。
> そういう通信会社にいる仲間に恵まれてね。でも一部の味方以外は、あとはもう郵政省も含めて嫌われていたと思う。だから、かなりスリルがありましたね。