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言葉の記号的操作
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> 「順序を入れ替えてみる」といった簡単な操作によって思考を活性化させることができる。むしろ、そういう簡単な操作こそがしばしば思考を開始させるような、真正の「問い」をもたらしてくれる。平叙文を疑問文に書き換えてみたり、変数をひとつにまとめてみたり、「もし…ならば…」と問うてみたり。
これもある形のアナロジーを作動する

>勉強の哲学 千葉雅也』で言葉遊びが本質的に重要だと言っているのは、まさにこういうことです。

記号的操作とも言えるな、と。
> それに対し、先住民の思考は「記号」を用いているとレヴィ=ストロースはいいます。これはたいへん面白い言い方で、記号には概念とちがってはじめから「ゆらぎ」や「ずれ」が含まれています。前回のヤコブソン言語学のところでも述べましたように、言語という記号では、隠喩メタファー)と換喩メトニミー)が基礎になっています。あるものを似ているもので表現するのが隠喩、似ていなくてもよいから近くにある別のものを持ってきたり、部分で全体を表現するのが換喩です。

これを見て。言葉の概念的操作をしてる。ビジュアルでは成りたたない
芸人はこういうことをするのが仕事なのだろう

逆にこれによって、形を掴む知性から遠ざかってしまうかも、と思う