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生きる LIVING(映画)
2022制作

これまたまったく知らないのだが、黒澤明の同名作のリメイクらしい。脚本はノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロ。と、事前情報をこれだけ書くと期待も膨らむのだが、映画として観た場合、非常に陳腐で退屈だったというのが率直なところだ。

余命宣告を受けた役所の課長ウィリアムズ(ビル・ナイ)。人生の楽しみ方を求めて、ある日、職場を無断欠勤し、バカンスに出かける。そこで酒を飲んだり、歌を歌ったりするのだが、どうにも心から楽しめない。これが人生の楽しみ方なんだろうか? 戻ってきたところを、かつては同じ職場の女性であったハリス(エイミー・ルー・ウッド)に偶然見つかる。ハリスと一緒に食事をしたことから、「なんでもないことをとにかく楽しくおもしろくさせる」彼女の生き方や存在に感化されたウィリアムズは、それまで市民課、水道課、公園課と、各部署をたらい回しにされていた「子どものための公園設置の陳情書」と向き合い、公園の設立に尽力。ウィリアムズは宣告通り亡くなったが、公園は残った......という、書くだに「べったべた」が本作のストーリーだ。

ストーリーはだから追っても正直「おもんない」のだが、では細かい描き方こそが本作の魅力かというと、そこも微妙。ウィリアムズはとんでもない奥手で、実の息子に「実はガンなんだ」「余命宣告を受けている」ということすら打ち明けることができない。これは血筋らしくて、息子のほうも父親に「新しく家を建てるお金がほしい」とか「最近、父親が若い女性(ハリスのこと)と遊びあるいているようだが外聞が悪いので遠慮してほしい」ということすら言うことができない。その程度のことすらお互いに口にすることができないウジウジジメジメした登場人物たちが「人生とは」と悩んでもなあ......。

しかも、このウィリアムズ、実の息子には余命のことすら最期まで伝えることができなかったのに、ハリスという、今は職場にいない若い女性に対してだけは伝えるっていう......。逆だろう。息子には実際に迷惑もかけるのだし、今後のことだってあるのだから、クソがつくほどの真面目なら自分の死期が近いという重大なことくらいは伝えてしかるべきだし、単に職場で過去に一緒だったってだけの他人の女性には、重たすぎるし迷惑すぎるから、そんなことを伝えるべきではない。ここらへん、泣いた赤鬼みたいな話が好きな人たちには「刺さる」のだろうが、自分のような人間にはどっちらけ。「そんなだからこれまでも人生楽しむってことを考えられてこなかったのでは?」と冷たく突き放して鑑賞せざるを得なかった。