ビキニ・カー・ウォッシュ
タイトルからビキニで洗車するシーンたっぷりの映画を想像する人が100人いたら100人だろうが、ビキニで洗車するシーンたっぷりの
映画であり、そこに何一つ期待を裏切る点がないことをまずは褒めるべきだろうか。この映画を観れば、ビキニ姿で、なんなら乳首すりつけてフロントウィンドウを洗車する女性たちの姿を文字通り飽きるほど見ることができる。そういう意味で一切期待に違わぬ作品なのだが、でも、ちょっと待ってくれ。ビキニで洗車するだけで100分もつか? その疑問は実際に観ないと解決しない。そんな疑問、解決したいと思うかどうかしらないが。
親から借りた家にお金がない友達を住まわせて家賃をとっている主人公の大学生ジャックは毎日セックス三昧、アルコール三昧の楽しいキャンパスライフを送っていたが、大事な必修講義を落としてしまう。しかし、教授はジャックにチャンスを与える。業績不振の洗車店を一週間経営して建て直せ。それができれば単位を与えると。もし単位をもらえず、そのことが父親にバレれば家も車もすべてを取り上げられてしまう。そこでジャックは「ビキニ洗車サービス」を始めるのだが......。
主人公はイライラするほど「何もしない」。そもそもの「ビキニで洗車するサービス」というアイデア自体がジャックのものではなく、友人の思いつきだし、その友人からしつこく「やろうぜ」と言われ、「じゃ、じゃあ......」とはじめるだけ。その後も大したことはせず、仲間から「こうしろよ」「これはやめろよ」と言われると「わかった」と了承するだけ。状況に応じて仕方なく何かをするが、そうなるまでは何もしない。すべてを流れに任せるだけ。典型的な「動かない主人公」だ。
ビキニ洗車サービスと言ったって、映画にするくらいだから、いろいろ山あり谷ありなのかと思ったら、それも違う。基本的に右肩上がりでどんどんお客さんが増えるだけ。スタッフが給料を上げろと文句言ってきたり、創設メンバーが離反したり、原材料費が高騰したり、ライバル店が出てきたり。経営ならそんなトラブルがつきものだと思うが、まったくそのような事件は発生せず、強いて言えばヤクザにショバ代を支払わなきゃいけないとか、友達から「乳首で洗車はさすがにやりすぎ」とクレームが来たとかその程度だ。経営的な課題のあれこれは実はまったく描かれていない。
じゃあ一体どうやって100分もたせているかというと、友達や主人公のラブロマンスである。非モテの男の子がブロンドの姫に恋してたり、バイ・セクシャルの女の子が同じ姫に恋してたり......。他にももろもろあるが、今思い出せるまともな筋はこれくらいのもの。さてこれがどう転ぶかってだけで100分もたせているのだから、考えようによっちゃすごいが、マジで無内容。
バイ・セクシャルの女の子二人出てくるから、その点に注目したい気もするが、一人はレズビアンのように当初表現されていたのが、最終的には非モテの男の子とくっつくという描かれ方なので「結局、異性愛なんかい」というツッコミを入れざるを得ないし。こんだけビキニでえちえちなシーンを連発しているが、途中で「男も同じく海パンで洗車する」流れになるのだが、それも「男も女も楽しんでやってます!」というフェミニズムに対するエクスキューズのようにしか思えないし、実際エクスキューズ程度のあってもなくてもな付け足しだ。
この映画に注目するとしたら「何が描かれているか」ではなく、「何が描かれていないか」だろう。それで言うと、冒頭から自由にセックスしまくるシーンがあるし、常にみんなアルコールを摂取しているが、タバコやマリファナ、煙たいものは一切吸ってない。そういう意味で本作、どこまでいっても健全なのだ。みんな遊びまくってるが、体を壊すようなことや、不健康なことはしていない。退廃感ゼロ。ビキニ洗車しているスタッフも、サービスがんばってるし、丸一日の立ち仕事なわけで。ぶっちゃけただの労働を一生懸命文句も言わず、毎日こなしているだけっちゃだけ。だから観ていて不快感がない。
最終的にビキニ洗車サービスをしていることが教授と父親にバレて、怒られそうになるのだが「でも、売上はあがってるし、スタッフもみな喜んでるし、お客様も満足しているし、ハッピーじゃないですか!」と言っただけで、二人ともあっさりと納得してしまう。なんやねん。