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祇園の姉妹

【監督】溝口健二
【脚本】依田義賢
【音楽】
【撮影】三木稔
【美術】
【製作】永田雅一
【制作会社】第一映画
【編集】坂根田鶴子
【配給】松竹キネマ
【公開】1936
【上映時間】95min (公開当時) 現存 70min

特徴 :
キネマ旬報ベスト・テンの一位に入った
稲垣浩は本作について、「主演の山田五十鈴が絵日傘をさして祇園社詣でをするあのあでやかな姿を、今も忘れることはできない」と語っている

kana やば。右から書かれている

冒頭、パン、意外にも男衆たちのようすからはじまる。オークションかなにかだろうか
kanaしかしものすごい長回しだ!
1分以上ある。1min10くらい

kanaオークションが冒頭であったのだが、カットが切れてから、娘も同様の構造で、身売りをされることがわかる
で、このシーンもめちゃくちゃ長いんだなあ。
どんだけ長台詞覚えるの~、と。

それでこのシーンも長い。

kana そしてこの舐めるような撮り方

kana 五十鈴は、女学校を出たのに芸鼓になっている
>妹「ここら遊びにきはる男はんちゅうたらみんなお金であてらなぐさみもんにすることだけを目的にきはるんじゃないか。そうとちがう男はんがひとりでもいーはるか」→ピシッと台を扇子でたたく→姉「ほんなこと今更あんたに言われなくたってようようわかってます」

>姉「うちが一人前の芸鼓になるように...」 妹「一人前の芸鼓ってなに? どうみてもこれならどなたはんでも満足して楽しんでいただけます、そないしてくれはっただけやないか。あてらをお金でなぐさみもんにしたり、まるで品物みたいに売り買いしはったあいつらいったいだれや、みんな男はんや」

kana 妹、よういった!!!

kana この傘かわいい...
五十鈴さんのほうも、平凡な洋服だけどいい感じに見える
>世間がだいたいあてらをいっぺんでも人間らしゅうあつかってくれたことがあるか?

kana やっぱり日本の建物ってちょっと独特な感じがする

kana ラジオか蓄音機か、流行歌が流れているのが風情があっていいかんじだ

kana このシーンも1分も1分半も回ってて、しゃべりまくる

kana かなりいい柄。

kana「義理があるさかいな」
姉→吉沢も「義理がある」、骨董屋→吉沢も「義理がある」...
義理人情の世界ちゅーやつか。ようわからん

kana 手前にお花がある?

kana このシーン、やんわりというかなんというか、やんわり強引に厄介払いするというのがすごい笑える
しかし、この吉沢とかいうやつ、クソだね。
なぜ奥さんの国に帰らないんだ...
しかももらった金をすぐに掛け軸に変えるって、バカにしてる。いったいどんな神経してるんだか。



kana この「目と目で通じ合う~」 みたいなのは、日本ぽくてかつ、映画っぽい

kana ワシらの時代は女のほうからいろいろ持ってきたもんだわ...と話すと、隣のおかみさんが咎めるように見る。こういうささいな振る舞いがとてもいいな

kana えー、すてき

kana この空間はどうなってんの

kana 時代的にもしかたないんだけど、年齢差を考えても画面からみても老人といえるようなひとたちに媚びないといけないのはツラいなあ

kana この場面かなり好き。なんかいちばんすきかも。

kana そしてまたこの空間がなんか不思議空間ってかんじ。

kana バカの反物屋の奉公が余計なこといって全部崩壊する。結局ぜんぶ男はんのせいじゃないかいっ

kana やー、素敵なレストラン!

kana 炭櫃? 煙がたってるのがいいね

kana なんで姉があんなクソ男といつまでも一緒にいるのか理解できない。姉を無理にでも引き離そうとする妹の気持ちがよく理解できる。妹はそれこそ映画で「なんちゅうアホやろ。」 と呆れるのだけど。

kana いい照明ねー。

>あてはこんなことぐらいで男にまけてへん。芸鼓が自分の思い通りにならんさかい言うてこんな卑怯なマネするような男にゃ何度でもはむかっちゃる...
kana どうせ男には勝てないし、良くしてもらっていればいいじゃないのという姉と、そうやってナメられっぱなしにしてるからつけあがるんだっ! と意気込む妹。
なんだか今の社会でもあるなあと思う。それこそ世代間の問題でもあるし、同じ世代でもやっぱり「自分も働いていても夫には料理を作るもの、家事は全部するもの」 と普通に思っている人もいるし、kanaはそういうのはありえないし、女のなかでもいろいろ立場の違いってもんがある

→最初は、妹のほうの価値観が否定されるかと思えば、そのあと古澤も姉を捨てていってしまい、姉のほうも否定される。というより、こうなると否定ではなくて、告発だな。

>世間にりっぱな顔たてて、それで世間からなにをしてもろた?
> そりゃあ古澤さんはよろこんではったやろ。けど、姉さんはどうなんや。ええ暮らしができるようになったか? だまって言うなりになって、ええ人間になっても、どうもしてくれはらへんねん。商売上手にやったら腐ったやっちゃと言わはるし、あてらはいったいどうしたらええねや。あてらにいったいどうせっちゅいはるねや。...なんで、なんで芸鼓みたいな商売この世のなかにあんのやろ。なんでなくならないんやろ......
kana 芸鼓に限らずみんなほんとにこういう感じだよね...。とうぜん芸鼓のほうがより、この問題は大きかったのかもしれないけど。
生活のために、うまくやろうとしたら罵られて、義理をたてようとしたら浮気されたり捨てられる。

kana
このひと、ありとあらゆるシーンでやっったらとカットを切らない。ありとあらゆるシーンを長く回す...。kanaはカット割るよりこっちのがすきかなとおもうけど、でも長回しのものはけっこう退屈に感じられたりもするよね
しかも溝口は基本劇伴がないから。
基本的に普段着が洋装の妹と和装の姉という対比がなかなかよい。
なんというのか、仕草やノンバーバルなコミュニケーションでつうかあなのが、映画らしくてよい。
そして細かいところの心理表現がちゃんとしている。
たとえば、反物屋のおかみさんの反応とか。
ただ、女の悲哀というよりかは、どちらかというと、今でいうとクソ男にひっかかった親友 (ここでは姉だが) を助けようとしたら全部裏目に出てしまったみたいな話に見える。なんか妹がかわいそう... いつの時代も結局この社会の価値観で男として生きている以上はどんな男もクソだと思うし、そういうのに惚れたり一緒にいたがる女は見てるとイライラしてしまうからまじで全シーンイライラなしでは見ていられなかった...
日本の家ってなんだか不思議空間だなあと思う。


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