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心の自転
cman個人言語。「ひとの心が回転する」という感覚を使いやすいように縮めたもの。
一般的には「目から鱗」に近い概念。
人の言葉やなにかの作品、あるいは本によって、自分の感情や認識が大きく揺さぶられ、見方が変わるときの心的体験。
“変わった”ところではなく、“心的体験”の方にフォーカスした語句である。

具体的な用法は感覚が元になっているゆえに説明が難しい。
ニュアンスなどは下記を参照。

ひと
漢字ではいけない。
“人間”でもない。
“人間”であり、“他人”であり、“ヒト(ホモサピエンス)”である。
多義的な可能性を持たせ、大きく包括するイメージを持っている。

心理的主観でありながら、ここでのイメージは具象化されたもの。
魂っぽい、形を持ったもの……のような感触。
これが“回る”ことによって、内部にある自分の感情が目まぐるしく変わる。
シェイクされたり、認識が変わったりする。

回転する/自転
文字通りの意味。心の自転#619511ca509a040000994f30にあるように、“心が回ること”によって想像されるものを補う。
ただし、外側から(例えばコマのように)無理やり回されるという感じではない。
あくまで「自分から」「受け取った結果」「心が回り始める」というニュアンスがある。
故に、短縮した語句は「心の“自転”」となる。
自転というのはあくまでも自ずから回転するの意味なので、惑星の自転とはあまり関係がない。
それどころか、回転速度が変わるので、全然べつだ。地球の自転速度が変わったらおおごと。
しかしながら、“おおごとである”というイメージは重要である。まぁ、なんでも良い。