哲学には諦めがある
>@blu3mo: 哲学(?)は全て(評価軸, 知覚, etc)を疑って無限に追求している物であってほしいと夢見ていたけど、結局それは不可能で、どこかに諦めが存在するということがだんだん分かってきた。
馬路ゼミで書いたこと
> もっと言えば、哲学(?)は全て(倫理, 知覚, etc)を疑って無限に追求している物であってほしいと夢見ていたけど、結局それは不可能で、どこかに諦めが存在するということがだんだん分かってきた。
> 「XXの技術はこうあるべき」という論考を書こうとしていて、規範的議論の論理の根本に使える普遍的な評価軸があると思っていた
> この世に「良い社会とは」とかの議論がたくさんあると言うことは、人類が倫理学を突き詰めた結果何かしらの普遍的な評価軸は見つけていて、その上に規範的議論を積み上げているのだと思っていた
> けど、評価軸をいくら突き詰めても普遍的な物に辿り着くことはなくて、規範的議論の論理の根本に使える普遍的評価軸は存在しないのだなと気づいた
> 似た様な話を倫理以外の哲学系分野でも聞くことが何度かあって、結局無限に論理を突き詰めることは不可能で、どこかに有限性が存在するんだなと気づいた)