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インターネット時代における社会的現実の分裂
>まず、人々が社会的に「現実」とみなしている
> 事実がいかにして成立しうるのかを巡る、全く異
> なる二つの立場からの議論を参照したい。一つは、
> 言語哲学者のジョン・サールによる発話行為論、
> 志向性、集合的志向性といった言語の機能からの
> アプローチである『社会的現実の構成(The
> Construction of Social Reality)』(1995)及び、
> その続編ともいえる『社会的世界をつくる
> (Making the Social World)』(2010)である。も
> う一つは、現象学的社会学の立場からの、「社会
> 的世界のなかで自らの日常的生活を営んでいる人
> びとによって経験されるものとしての『社会的現
> 実』を説明」しようとするものである(Schutz
>1962a = 1990:86)。具体的には、アルフレッ
> ド・シュッツの議論と、ピーター・バーガーと
> トーマス・ルックマンによる『現実の社会的構成
> (The Social Construction of Reality)』(1966)を
> 中心に検討する。
>ここで求められるのは、社会的現実は何によっ
> て構成されるのか、なぜ人びとはそれを、社会的
> に現実であるとみなすことができるのかという問
> 題である。いっけん突飛にみえるかも知れないこ
> の二つの「社会的現実」論の対比は、インター
> ネットが作り出した新しい日常的現実を評価する
> ために必要な手がかりを与えてくれるはずである。
おー、まさに見たかった話