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蔵 研也 『無政府社会と法の進化 ――アナルコ・キャピタリズムの是非』

("市場の効率性は功利主義とも違う"の章) 自由市場を正当化するカルドアヒックス基準を個人間での1円あたりの限界効用の違いという功利主義的な反論から擁護するための、3つ目の論拠として、時間や世代を経て貧困から脱することができるという論拠をあげているけれど、功利主義的観点なら流動性に注目する意味はあるのだろうか。個人間の格差の大きさの方に注目するべきなのでは。

もしどんな個人にも貧しい時期も金持ちの時期も無作為に訪れるとすれば、長期的には大数の法則で1円あたりの限界効用の個人間の差異はならされるから無視できるみたいなことを言えるかもしれない ?? けど、そんなに流動性があることはない
(それが仮に成り立ったとしても、お金持ちの時期の人から貧しい時期の人に再分配したら社会効用が上がらないのかな。いや、単一の個人内で時期によって所得に違いがあるという前提なら、政府が再分配しなくても、自発的なお金の貸し借りと貯蓄で ならせば同じ効果が達成できそうだけど)。
もしそうだとしたら期待値としては格差はないっていう世界ってことになるけど
世代間の流動性に関してはなんの意味があるのかよくわからない

自分が未来の人間である可能性を含む無知のヴェールを考えると、現在の格差の縮小より未来のための経済成長を重視することになるだろう (無知のヴェール下でミニマックス法を使って意思決定した場合ではなく、期待効用最大化を考えた場合だろう) と蔵氏はいっているけど、それの帰結は基礎研究への政府支出や地球温暖化対策を大量に行う、リバタリアニズムとは別のなにかになるかもしれないよね
自由市場はただ現在の人々の時間選好を反映するだけで、未来の人々は直接的には取引に入ってこないから、あまり未来人の厚生は反映されなそうな(借金や投資を含めて考えるとどうなるのかわからないけど(将来すごい利益が得られるとわかっているなら、それを貸し手に説得して現在借金して生活できるのでは(それには貸し手側の時間選好が低い必要がある)))
(政府も投票者や政治家や公務員の視野以上に長期的視野にはならないと思うけど。さらにHans-Hermann Hoppe *Democracy: The God That Failed*的な議論で言えば、政府の人間の個人としての視野より短期的な視野になるだろう、という議論もできる)
longtermism
Longtermism - Wikipedia (longtemismでは、人類が絶滅してしまってはそこから続く大量の命・未来が失われることになることから、存亡リスク(existential risk)に備えるということも必要というのもある。
また、経済成長がいつか天井に達すると考えている場合、いつ天井に達するかの違いでそこまで莫大な違いがあるわけではないので、存亡リスクへの対策のほうが重要という考えもあるらしい (by William McAskill)。
(追記: Joseph Heath "Review of Tyler Cowen’s Stubborn Attachments. San Francisco: Stripe Press, 2018, 158 pp." で時間割引とリバタリアニズムの関係について話があった)
Tyler Cowen "Does the welfare state help the poor?"にも時間割引と福祉国家についての話がある。
経済学101に、政府のほうが代替燃料への切り替えを行っているから、どういうわけか市場より時間割引率が低い行動をしているんじゃないか、みたいな記事があったような
追記: 経済学101じゃないけどあった:
>More broadly, reflect upon how few companies pursue long-term revolutionary technology. Even though nearly everyone agrees that the future will be less based on fossil fuels, research and development of the likely replacements – from fusion power to solar power to electric cars – is either run by the government or grudgingly performed by corporations only after being promised huge government subsidies.
あー、どうなんだろう。これって時間割引率の問題じゃなくてR&Dの外部性 (R&Dから経済に生じる利益すべてを自社が回収できるわけではない) によるものとかなんじゃないの?


(自由市場の場合は、ともかくどこかに時間選好が低い人がいればその人が融資を行ってみんなが長期的な観点を持てるという具合にならないか?)

カーティス・ヤーヴィンが言及してる、オランダのpillarizationは、自分が属する政府を選択できるという仕組みに近そう? (元のやつは宗教によって振り分けられているのだから、かんたんに自分で変更はできなそうだけど)。
> Since everyone likes tulips, a good way to market this solution is under the Dutch word pillarization. Pillarization requires your cultural identity to be formalized and visible to the state—as visible as to any advertiser with two nickels to rub together.
これは政治単位とはちょっと違うか


マフィア
暴力団・マフィアは麻薬などの規制された商品を売らなくてはお金が稼げないので、無政府資本主義社会ではそもそもそのような規制がないからマフィアがいなくなるというが、マフィアが麻薬売買を主に目的とするわけではないという話もあるらしいのでどうかな。:

積極的自由・消極的自由
>このような自由の二元論は、オックスフォードの政治哲学者アイザイア・バーリンの『自由論』に典型的に現れている。バーリンは1958年に『二つの自由』を著し、自己決定の実質的な能力を高めるという意味で「自由」を解釈し直し、それ以来、現代国家には様々な社会福祉的な諸政策が要請されることになった。 http://web.archive.org/web/www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/anarchic_society1.htm
あれっっ、アイザイア・バーリンは消極的自由を重視したんじゃなかったっけ?
>Q.なぜバーリンは自由を消極的自由に限定しようとするのですか? https://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/490ef5b83f8adcc93db179bcaea2d2d0
>-バーリンは積極的自由の観念に対して批判的。 http://masm.jp/berlin/

軍隊付きの保険会社
クルーグマンは政府の支出を軍事と保険 (および保険に類似した社会保障) が占めていることを以って「政府とは軍隊付きの保険会社だ」と言ったけど、ハンス・ハーマン・ホップらの無政府資本主義の、政府の代替となる警備会社がまさに軍隊付きの保険会社っぽいのは面白い。
>警備会社と同じように、損害保険会社も契約者が外国軍の侵攻によって被る被害の補償をなす必要がある。そのため、保険会社もまた、外国軍の侵攻に対する効果的な軍隊を持つインセンティヴをもつことになるのである。リバタリアンの中では、ミーゼスやタネヒル夫妻、ホッペなどはこの考えを敷衍して、損害保険会社が軍隊類似の武装集団を維持するだろうと主張してきた。http://web.archive.org/web/www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/anarchic_society8.htm



法の進化
法が競争して進化するのはよいが、どのような方向に進化するのか?
>原理的にこの二つの規範は完全に対立しており、妥協点は存在しないようにも思われる。しかし、本書で考える多元的な法システムでは、入札による複数の正義の共存が可能となり、その手続は以下のようになる。
>
>  加害者の警備会社は、加害者の不処罰の結果を獲得するために、被害者の警備会社に一定の金額を提示する。被害者の警備会社がその金額で合意するなら、警備会社は金銭を受け取り、加害者は嘱託殺人を罪としない仲裁会社による裁判にかけられ無罪となる。かりに最初に提示された金額で合意がなされないのであれば、反対に被害者の警備会社から加害者の会社により大きな支払い金額が提示される。そして、この金額で合意されるなら、今度は加害者の会社は金銭を受け取り、加害者の身柄は嘱託殺人罪を罪とする仲裁会社によって裁かれ、それに応じた刑を受けることになる。
>
>  この交渉ゲームは、加害者の無罪、あるいは有罪に対して、2つの警備会社がそれぞれいくらを出せるのかを競り落とす競売ゲームなのである。異なった二つの正義感が社会に存在する場合が、現実にある。しかし、その場合でも、その正義感を押し通そうとする思い入れ、あるいは精神的なエネルギーには差があるはずである。それらを直接に計測することはできないが、貨幣によって入札させることはできる。そして、より高額のオファーを出したほうが、その正義を通すことになるというのが、ここでの解決策となるのである。
たとえば死刑を支持する警備会社にあえて契約しておくことで、相手から「正義の貨幣投票」で大きな金額をせしめる、といったことが可能ではないか? そういった、正義貨幣投票最大化の法律は、望ましい方向に向かうのだろうか? ("incentive-compatible mechanism"を応用すればいいのか?)
適応度地形はどうなっているのか?


特殊警察
> 僕の「無政府・・・」では、もっと特殊警察、例えば、幼児虐待警察や環境警察が(NPOのままでも)活躍するようになるように思う、と描いているのだが。

> あるいはその結果、人びとが納得すれば無政府の社会においても合意がなされ、温室効果ガスの排出に対する監視機構が組織され、さらには警備会社や自発的な「環境警察」によって強制されるようになるかもしれない。しかし、それは現在のような曖昧な前提に基づくものではないだろう。http://web.archive.org/web/www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/anarchic_society3.htm
特殊警察法人 ゲーデル警察