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DOMMUNEのCAN特集
※いつ書かれた記事なのか不明
昨日DOMMUNEカン特集をやっていたので、久しぶりにCAN熱が再燃!

以下DOMMUNEメモ
CANのルーツ
みんな戦前生まれ
戦争の爆発音
ナチスがCANへ影を落としている。
イルミンの両親がナチ支持
ユダヤ人排斥へのトラウマ
エディプスコンプレックス
反ファシズム
学生運動への冷ややかな視点
ポルティカル色を抑えている
音楽文化におけるアングロサクソン(英米)からの独立
ドイツ文化の収束
戦後のショックからドイツはオリジナル性が喪失した。それを取り戻そうという試み。
CANはリーダーがいない(ファシズムへの反発)
68年においてまだナチス擁護の風潮があった。
ミュンヘン事件

第二次世界大戦後、西ドイツはショック状態にあった。
直近の歴史から遠ざかり、他のヨーロッパ諸国から取り残されていたからだ。
しかしこの孤立した風景は、60 年代にクラウトロックとして知られることになる、
実験的で様々なサウンドを育んだミュージシャンたちの世代にとって、肥沃な大地であることが判明した。
東洋の神秘主義、シュトックハウゼンの破砕した古典主義、工業の空圧反復やラインラントの深い森、終わりの見えないアウトバーン。
アングロアメリカン的なジャズ/ブルースの伝統を避けつつ、ドイツは他の場所にインスピレーションを見出した。

ヒトラーによるダダや未来主義否定による反動

イルミンシュミット
CANのリーダー格であるイルミン・シュミットは元々クラシック畑で指揮者(シュトックハウゼンから学んだりしていた)であった。
指揮者として渡米した際にNYの音楽文化(黒人音楽やフルクサス、NYのアートロック、スティーヴ・ライヒテリー・ライリーチェルシー・ホテル)はCANの構想のきっかけになった。

イルミンは60年代からアートシーンや映画業界と密接に関わり仕事をもらっていた。

シュトックハウゼンからの離脱と影響
現代音楽からの逃走
非ロック的アプローチ
あらゆる音楽のフェイク(似非雅楽、似非民族音楽、似非アフリカ音楽、似非ハードロック、似非レゲエ、エキゾチズム)
批評、真剣じゃない。素人
失敗は成功
フリーミュージック
編集(エディット)

初期は単なる集団即興のサウンドにすぎなかったが、Monstermoviesで固まった。
マウリッツオ・ビアンキのインダストリアル、ドローン(音楽)ノイズ・ミュージックにおける先駆性→CANのタゴマゴ(71年)にもある。
CANが出来たドイツ(ケルン)という土地柄はCANというバンドに影響している。アメリカ、イギリスからは出てこない。

ビートルズがやらなかったほとんどのことをやっている。

プログレでなくパンク・アヴァンギャルド・フリーミュージックの文脈

マーク・マグワイヤあたりにおけるクラウトロックリバイバル→ノイ!は模倣できているが、カンを模倣できるバンドはなかなかいない。

山塚アイダモ鈴木の親近性について
CANのジャンク感=ボアダムス

カンとGEZAN

シャーマニズム

フリージャズ→フリーミュージック(ボーカルの主体でない音楽)

future daysの洗練、漂白性

エホバとダモ、マウリッツオビアンキ、アヴァンギャルド

アモンデュールソニック・ユース、アシッドマザーテンプル→音圧で威嚇、人を中に入れない、男性的

CAN→人を中に入れる、女性的

反復と物語性の排除
ポストパンク勢のCANへの共振
商業主義と距離をおくが、アートには近づいた。

文化としてのカンとは
高尚ではない美術史と接続した存在

カンはすべての表現が記号として美術史にコネクトしてる。
ポップアート
シュトックハウゼン反復、ポップアート嫌い

世界 遊び場

コズミック

他の命にいかされている
宗教や観念に行きすぎてない
虚無がある

「Can」、「Communism」(共産主義)・「Anarchism」(無政府主義)・「Nihilism」(虚無主義)の頭文字を並べた

ビートルズは深堀して身につけようとした。
サンプリング、世界を使い倒す。世界をインチキとして捉えている。
シュールレアリズムと違う。コラージュ。エディット。
超越的現在体感ではなく、寄せ集めの現在体感。