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言及による萎縮という妄想
誰かの何かに言及することによって、
言及された人が自己を意識してしまい言及内容に関して心理的に制約を受けるのではないか……という思い込みのこと。

例えば、「花子さんは字が上手いっすね」と言及することで、花子さんが自分の字に意識を向けてしまい、うまく字が書けなくなってしまうのではないか……という思い込み。
字が上手い花子でなければ!という意識が、花子さんの活動を抑制しうる。
「字を書く」ことが「字が上手いことを示す」ことだと捉えられ単に字を書くことが「自分の美点を示そうとしている」と思われるのではないかという自意識を抱くのではないか……という思い込み。そのような自意識を抱くとき、ひとは遠慮しうる。(という思い込み)

なぜその思い込みを持ちながら言及するか
所有への配慮がある
「云々という発想がある」と紹介するとき、その発想の取得源として、その発想を述べた人に言及しなければ、発想を横取りしたと見なされるのではないか……という思い込みがある。
これはエゴイスチックな恐れの一種。

常日頃思っていることで、誰かへの言及は、この意識を突破して行なっている(あるいは、控えている)。

この過剰な心配を突破するために理念が必要になる
有益
功績
自由
エゴを失う恐れを抑えるために理念が要請される。
エゴイスチックな恐れがない人は理念を切実には必要としないだろう。