観念
「観念」ってどんなイメージ?
頭に浮かぶことすべて

デカルトは観念が生得的であると想定した
ジョン・ロックは生得観念を否定した
文学における「観念」
様々な事象を分類するもの
様々な事象を繋ぎ合わせるもの
この言葉があるからこそ、「観念に襲われる」というような用法も可能になっているのではないかと思っている

元々「観念」は、能動的な精神的主体によって見られる
受動的なもの……というニュアンスを帯びていたはず
Cf. デカルト、バークリ
諦めるという意味での「観念」
「観念しろ!」
低評価に使われる「観念的」という表現
太宰治の小説
「猿面冠者」(1934年)では作中に出てくる小説「鶴」が「
観念的だ」と酷評される
>――この小説は徹頭徹尾、観念的である。肉体のある人物がひとりとして描かれていない。
「君の言うことはあまりに観念的すぎる」
哲学史の観点における「観念」
それは
観念論的である、という批判をスタンダードにしたのはヘーゲルだと聞いた気がする

これは、ヘーゲルが他の思想家に対して「観念論的だ」と批判したということかな
