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綜合日本民族語彙 「序」
第1巻 アーキン
柳田國男 監修
民族學研究所 編

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以前に地名の研究に熱中していた頃、同じ経験を自分はしているのですが、国の四方に行われている言葉の中には、遂に今日まで文字の上に現れないでしまった言葉が非常に多いのであります。これが日本の国語辞典の今後の大切な問題になるのですが、事実を以って説明しないと人がなかなか聴きません。例えば地名というと、京都の人は全く知らなかった地形、若くはそれほど必要のなかったような特別の状況というものを、地方では言葉にしておりますが、それに対する漢字がないというだけで、今日までに忘れられずに 傅わっているものが幾つかあるらしいのです。漢字がなくても口から耳への傅達は容易ですが、別に記録に表す段になっては、漢字を使うということが難しいので、自然に公の文書からは遠ざかっていくような言葉が出来てきます。例を挙げると切りがありませんが、例えば中国地方の西部にかなり広い区域に亘って行われているエキという地名があります。これは江木という苗字も既に出来ているくらい、土地としては有名なものであります。その範囲は廣島縣(現:広島県)を初めとして、その東西にも拡まって数も相応に多いのであります。例えば周防や長門の風土記などには、単に固有名詞としてそれが傅わっているだけでなく、普通名詞としてもしばしば使われいるのであります。山間の流れに沿った僅かな平地ということだけは明らかでありますが、文字に表わす段になりますとすぐに困ってしまいます。通例山口県の方では浴という字を使っていますが、この字は既に別の意味があるものだから、使い難くあるし人が承知をしません。また処によると溢という文字を使っていますが、これも既に漢字の知識のある者には承知の出来ない文字であります。要するにエキ若くはエゴという言葉は日本語であるけれども、文章の上には出て来ない、公認せられない言葉であります。出せば必ず仮名を使わなければなりません。