第4回あーぷら哲学カフェ
日時:1/30(土)21:00~23:00
場所:哲学カフェチャンネル
テーマ:教養があるとは
教養があるってなんだろう。
たくさん知識があること?
知識を持っているだけで教養になるのかな?
知れば知るほど、知らないことも増えていく・・・
じゃあ、どうしたら教養がある人になれるの!?
そんなことを話せたらと思ってます。
参加者:(順不同)CLAVIS、eda、Fujisawanorio、masatsugu、mi、sein、toshi_san、Yuri、こひつ、さいほん、なるせ、ふじ子・F・ふじ男、ゆうり、ウボァ、トーチカ、ネギトロ、リクトー、朝霞、風神、トロ(シェイク)、インテグラル、てじ、じんるい、らさ、あくた_キオ、タラちゃん、amid、SHUNASHUNA、toki、アレクセイ
ルール
「ひとの話に耳を傾ける」
「専門用語はなるべく使わず自分の言葉で発言する」
「結論を求めない」
「わからないことは積極的に質問してみましょう」
「途中入退室は自由」
VCで発言する時は挙手をお願いします。司会が指名するのでそしたら発言をお願いします。テキストは拾って欲しい発言は挙手(「ノ」)してから書き込んでください。なるべく拾います。
きっかけ 最初にしゃべるよー
私は「教養がない」ことをずっと悩みとして持っていました。
あーぷら(このサーバー)に入り、そのことをより一層痛感し、教養の本を買って勉強を始めてみたところ、わかるようになればなるほど、「そういえばあれは?」「あのことについても知らないな?」と思うようになりました。
この世は知らないことだらけです。では、どうしたら**教養がある**と言えるようになるのでしょう。
どうかみなさんの考えを教えてください。
自分で自分が教養があるは言いづらい
→世界は知らないことだらけ!
→他人からの評価で言われるもの
自分で言う人はすごいけど、他人から言われるものかな
教養がある<教養を用いる
情報ブワッて詰め込まれてもパンクするなあ
ふじ子
知識の量より、知識の連関能力
seinさん
>教養とは、身について、その人の口のきき方だとか挙動だとかに、自ら現れる言い難い性質が、その特徴であって、教養のあるところを見せようという様な筋のものではあるまい。 - 小林秀雄「読書週間」
単なる情報としての知識でなく、知識どうしが結びつき、それが生活に溶け込み、血や肉になり、その人の仕草や言動にまで滲み出る状態
ゆうりさん
教養があるなって思う人、話の引き出しが多い人。
いろんなことを知ってる人。1言ったことに対して、5とか10とか教えてくれる人。
しぐさも上品で話し方が落ち着いているかもしれない。
Fujisawanorioさん
知識とコミュニケーションの掛け算
知識がどれだけあってもそれだめ、アウトプットの能力が要る
Yuriさん
音楽の背景の知識を活かさないことを怒られた
教養=リベラルアーツ 何かたくさん知ってるといっても、教養があるとは言わない
相手にとってはどうでもいいことをたくさん知っているととらえられたことが「烏の悪食みたいだよね」って言われたことある
何が教養なのかわからない。
CLAVISさん
そもそも教養の中身って何でしょうか。
edaさん
相手に合わせることができること
ex)国によってのマナー 中国のごはん残すやつ
しかるべき場所で正しい知識を出すこと
知識から出る補助能力が教養
ウボァさん
教養のあるなし
他の人が関わってくるというのが意外だった。
学校の先生から教わったことなのですが、
教養とは
生き抜くことができるような能力のこと
自分というフレームを外してゆく、それを目指してゆく態度
自分をどんどん変えてゆく、成長してゆこうとするマインドなのではないか。
Fujisawanorioさん
「風格」
知識量とコミュニケーション
その人が積み上げてきた感想や意見の風格が、文章にも現れ、動作にも現れる。それが教養のひとつではないか。(そのように意見がかわってきました)
↑意見が変わるのも哲学カフェのおもしろいところだね
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たしかに
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知識だけでなくて頭の中だけでなくて、
身体能力のようなものになってゆく。
Yuriさん
教育はあっても教養はないなどとよく言われる。
教養の一要素として、「知識量」はあるのではないか。
教養=知識ではない。
といったことがまず浮かぶ。
知識∈教養byウボァさん
masatsuguさん
皆さんの話を聞いて思ったことなのですが、
教養をリベラル・アーツとして考えているのですが、
個人の才覚だけでなく、いわば巨人の肩に乗っかるような、人類の叡智を踏まえた生きてゆくための知識・技術だとおもう。
ふじ子・F・ふじ男さん(ふじむらさん
連関能力の補足
脳の
例えば、こくごの話をしてるときに、数学の話としてとらえるとか、
他の分野知を結びつけて考える。
結びつけが可能だった時点で教養があるなと、ふじこさんは考える。
物事のとらえなおしができる人
連関能力、かな。
分野横断も同意する。
あわぷらのLINEグループ
この小説家は教養のないからダメ
専門家は知識量がある
他の分野の知見により捉え直すことができる能力が、教養ではないか。
さいほんさん
テキストより。
プレッシャーになっている。
Yuriさん
教養について、生き抜く力、そんな話があった。
教養役に立たないんでは?という考え方もあるかな。
実際に役に立つのは専門知識。実際的なもの。
教養は貴族階級、安定した状況でならいかされるけれど、サバイバル時代には役に立たなそう。
大学とかでも、教養学部が必須になった。
役に立たないよね。→やっぱり専門的な知識!という流れがあったと、見聞きしたことがある。
第二次世界大戦後、専門化してしまった。色んなこと学ばないと。
なるせ「教養が役に立たないとなると、この2時間が……」
😱
サバイバルにならないことを祈りましょう!
seinさん
教養とは、生活に根付くもの、生きてく中で洗練されていくものではないか。
教養は、生活してゆくことと別なところにあるのではなくて、生活のなかで洗練されてゆくもの
それこそ、生きるための知恵、活きた知恵
生活のなかで得た知識
学問が前提にあるとしても、それを生活のなかで使ってゆくなかで身についてゆく(のが教養)
数式の使い方を覚えても、生活の役に立たないなら、生活から乖離した知識は教養とは呼ばないのではないか。
血肉になる知識が教養。
「edaさんのマナーの話と繋がっているかも」
$ 21:55 休憩に入る。
22:10まで休憩にします。胃が痛い
$ 22:00 司会、カントリーマームを食べる。
$ 22:08 バンギャ談義に花が咲く。
後半開始!🥳
司会:教養といわれて具体的に思いつくものとか気になるなあって思うんですよね。
例えば、ピアノができる人って教養あるなあとか思いますが、そういうことであっても
読書量
高級レストランで難なく食事できる人
旅行や仕事で各地に行ってる人
ゆうりさん
ピアノができる人って教養あるという話がありましたが、ピアノできるんですけど、自分では教養がないと思っている。人に教えてもらうほうが多い、自分から教えられることがあまりない。
読書量だけじゃないと思うが、たくさん本を読んでいる人は教養あるなあと思います。
寡黙な人でも教養ある人はいるという話があったが、たしかにと思った。
けど、喋らないと教養あるか気づくことができない。
ためてるひともすごいけど
教養ある人は、知識がバンバン出てくる人ってイメージ。
Yuriさん
ピアノは3歳のときからやってましたが、弾けるから教養があるとは思ったことがない。
お嬢様的な人、嗜みとして弾くみたいなものはあるかもしれない。茶の湯とか華道的なものかな?
嗜みと教養ってなんだろう?
ピアノの先生に、ヨーロッパの曲を学んでいるので、今弾いてる曲に関連ある絵を見に行けとかは言われた。キリスト教の知識を入れておけ、とか言われた。そういうのは、教養なのかな。
ピアノを弾けるのは技術であって、
世代によっては、花や茶は当たり前みたいな
レコードが無い時代、昔の小説、お金持ち同士はパーティーしてると、誰かピアノ弾いて歌って、が娯楽だった、、嗜み。これを教養というのかはわからない。
なるせさん
嗜みと教養についてなのですが、
大学の入試を受ける前のオープンキャンパスで知り合った人、変わった子、
面接で趣味とかなんて答えた?
え、わたしは、なんかインドアな趣味とk
そんなんじゃダメ!
え、
じゃあなんて答えたの?
「お琴!」ドヤ顔
へー、琴やってるんだ
やってないよ。
え、
お琴と答えたほうが受かるじゃん!
司会:お金持ちと教養とは関係あるのでしょうか?
$ テキストでしばしやりとりがなされる。
朝霞さん
テキスト
思うに、「これは教養」というものは存在しないのだと思う。俺は、yuriさんの仰ったように、自分たちの存在している時代や国といった文脈によって他人から規定されうるものだと考える。
タラちゃんさんの言っていた「富裕層
≒教養」というのは、「必ずしも生存に必要ではないが、人生を豊かに(優位に)するナニカを身に着けられるだけの時間的、金銭的、文化的余裕」という教養観が人々の根底に存在している故ではないだろうか。
自分と他者の存在している文化・文脈では必ずしも必要ではないが、豊かそうに見えるという個々人のバイアスが教養を規定しているのではないかと考えます。
ただ、貧乏な人に教養がないかと言えばそうではなく、それこそ読書量に裏付けられた教養というのはそれに分類されるものではないでしょうか?
朝霞さん
どの時代区分でも普遍的な「これが教養」というのはない。
書道・華道・茶道はかつて嫁入りの必須要素だった。これができて常識ですよというふうに社会により要請されていた。
時代が変わることで
書道・華道・茶道嫁入りの必須要素ではなくなった。
時間的余裕がある。←親に資本がある。
教養があるかどうかは、時代によって変化するもの。
昔の常識が今の教養として見なされたりするかも?
個人のバイアスにより規定される「この人の教養……深いッ!」
常識(必須)から教養(あると豊かに見える)へのシフト
◯◯の教養、△△の教養
教養にも科目がある?!
バンギャにはバンギャの教養がある tochi_san
タラちゃんさん
ヘロー(デスボイス)
教養は快楽の生産回路。
絵を見て楽しめるとか、
絵画的に知識として認識して楽しめる
米津玄師さんが歌詞にギミックを組み込んでいる。カラクリを解きながら、米津さん教養ある〜とリスペクトしている。知識が広いとより米津玄師を楽しめる、という話を思い出しました。
Yuriさん
ピアノやったので、楽譜読んで楽しむとかできる。
ふじ子・F・ふじ男さん
バンギャの教養があるかないか。あるなあ。
ピアノの教養
経験則は知識だけど、教養ではない。
こんなことあった、というのではない。
自分の経験則から外れたものが教養なのかな。
急に俳句の話をしていた、俳句のことをバンギャで喩える、複数の、自分の経験則から外れた知識体系を示すと「教養あるなあ」と思われるのではないか。
貧乏なひとは、生活に忙しい。経験則以外の知識を仕入れる余裕がなかったのでは。だから、そこと教養のなさが結びついたのではないか。
朝霞さん
ふじ子さんから繋げて
自分と他者の共有しているであろう一般的な感覚を? ←わからないすみません
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Aさんは「哲学者である自分の常識」と「Bさん(つまり素人さん)が持っているであろう一般人の常識」を対比させている
Yuriさん
あーぷらのみなさん→知識も良識も礼儀もある
Q:教養がある人って言われたことありますか?
ないよー
ゆうりさん
他の人から教養あるよねと言ってもらったことはあります。あるけど、国旗🇮🇶をみて、あの国のだねと言ったら、すごいと言われたことがある。
地理の知識
その子が知らないって思ってたことをぽろっと言ったから、「教養がある」と思ってもらえた
自分では教養あるとは思っていないのだけど、、、
タラちゃん
社会一般での定義として教養を考える
教養科目=専門科目にしたいと思っていない分野の知識。
なるせ「ちっしきじ~ん!😲」
ここで、テキスト勢から、「教養」という言葉を使うのに躊躇する、という声が……
京都人「教養ありはりますねえ」
ゆうりさん
褒め言葉だと思ってた。慎重になるべき言葉だと知った。ちっしきじ〜んがいいなぁと思った。
色んなこと知ってるね〜!😊
なるせ「教養という言葉を使うための教養が必要だ~」
Q:哲学は教養ですか?
タラちゃん
実践知識ではない。
教養とは、実学ではない。生業にしづらい。
実学とは、学問は役に立たないと意味がないという考え方
教養⇔実学
土地の広さ割り出せたらいいや、という感じだった。
(ここらへんは、フッサールさんが詳しく書いていた記憶。)
23時になりましたので、閉幕いたします。初司会になりましたが、なんとかできたのは、みなさんの暖かなコメントと、風神さんてじさんの書記も助かりました
がんばったねえ