短慮について(仮)
(文脈によるような気もする。いやそういう善悪の話じゃなかったか。正しく期待をするという生き方の話か
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)
私は倫理の話だと思います。「
恥」という言葉が重要かなと。ただ、タイトルにおける「悪い」は単純なものではない(
勧善懲悪みたいな「悪」ではない)と思っていて、そこに考察の価値を見出しています
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なるほどぉ。倫理の話だとすると今の所あまりピンとこない実感ですな。
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文脈によると言ったのは、例えば差別問題とかの文脈において何らかの期待(差別を解消していてほしいなど)は発生していると思いますが、その期待が達成されないとじゃあ期待をした人が悪いのかっていうとそんなことはないので。
ただ、恐らくはそういう文脈での話じゃない(たぶん仕事とか生活のスケールの話)と思われますが。
なので、「過小評価も過大評価もせず、正しく期待する」という生き方の話と思いました。それはそのとおりだなぁと。
スピノザは過大評価も過小評価も「悲しみ」につながるといったことを書いていた
記憶だけなのであやふや
で倫理的恥の感覚があり、自分のなかで重要な契機だと思う。
なにが重要かというと、
乖離(無頓着)に気づくために重要
ページの目的とページ内容の乖離
ページの建前と意図の乖離
とともに、2022/3/8〜3/9になんでも大広間で論じられていた価値に関する議論とも関わると思われた。
ある種の絶対性の大切さ
真実を語る
寛容
リスペクトの欠如
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けっこうある。これは「人格が云々」というより、「認識がまずい」のだと思う。
つまり、物を認識する(物が分かる≒分を弁える)という話。
これは、倫理と認識(知)とが密接だという観点である
明確な軽蔑(というかあるものを「低い」と認識すること)は、倫理的態度の帰結であるとさえ思われる
知と倫理(価値)
無知
バグとエラーとその他の違いを知らない
自分のしていることが何か
反省はひとりの場所ですべきか
自分の経験を一般化する
軽薄や短慮・浅慮
例えば、変な動作があったとき、事前に情報を調べたり、新しいUserScriptを見直したりしないで、そのまま書くなど
いつ言語化するか
言語化するか否か
道徳
良識を軽んじないこと
恥ずかしさ
明確な恥ずかしさ
疎かな自己への恥
知識の疎か
情報の疎か
行動の疎か
悪いもの
「これは悪い」
「これは困ったことになった」
改める
一貫性の放棄
フロイトの言い間違いの話
言い間違いをした人は無意識に言い間違いを再現する……みたいな話
これは冗談のかたちで意図的にすることもある。
うっかり言い間違いをしたあと、その後でその言葉を発するときには明確な発音で、その間違った言葉を口にする……など。
反省は湿っぽくない
反省は存在や認識や倫理にかかわる
問題は感情ではなく行為(倫理)
不機嫌
感情による行動
ページの作成意図は?
情報と対策
絶対と相対
素朴実在論
素朴"観念論"
道徳的な信念