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文法によって世界の眺め方が変わる
『善悪の彼岸』第二十章「文法の呪縛」。
ニーチェによると、哲学の個々の概念は自然に生まれるものではなく、「他の概念との相互関係や近縁関係のもとで成長するもの」である。そして哲学の思考は発見ではなくむしろ再認や再想起なのであり、哲学をするということはいわば最高度の先祖返りなのだ。
また、インド哲学ギリシャ哲学ドイツ哲学には目を見張るほどの家族的類縁性が見られる。
この理由として、言語が挙げられる。
>言語の類縁性が存在するところにあっては、文法の基本的な考え方が同一であるために──ということは、類似した文法の機能が無意識のうちに支配し、導くということだ──、哲学の体系はいつも同じような形で発展し、配置される。これはあらかじめ定められていること、これは避けがたいことなのである。そして世界をもっと違う形で解釈する可能性の道が閉ざされているようにみえるのも、避けがたいことなのだ。
ここの部分は面白いと思う。哲学の思考は言語に影響されている。異なる語圏に属する人間同士はそれぞれ異なる眼差しで世界を眺めている可能性がある。