> 原文は Je pense, donc je suis である。この命題は解釈者たちによってラテン語でCogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)と表記され、デカルト哲学の標語とされてきた。だが、厳密に言えばデカルト自身がこのラテン語表記をしたことは一度もない。『省察』では、 Ego sum, ego existo(私はある、私は存在する。AT. Ⅶ. 25)となっていて、 ergo がなく ego や existo という語が付加されている。『原理』では ego cogito, ergo sum (私は考える、ゆえに私はある。 第一部七節)、『序説』のラテン語訳でも Ego cogito, ergo sum, sive existo (私は考える、ゆえに私はある、あるいは存在する。AT. VL. 558)となっている。『真理の探究』に一箇所だけ cogito, ergo sum (AT. X. 523)とあるが、 これは第三者による翻訳である。 こうした表記の相違を根拠として、 『序説』と『省察』とではコギト命題の意味が異なるとする解釈(アルキエやマリオン)が出てきている。(同上、pp. 234-5)