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 怪談考察忌 メモ

古俗として、妊婦が難産のために死亡すると。その腹を鎌などで割き胎児を引き出して妊婦に抱かせて埋葬する地域があり、その役を担う老婆がその土地にいたという
考察を加えることで怪談の持つ魅力が陳腐化するようなことはなく、むしろ調べるほど底が見えない暗がりが広がっていくようだった。
都市伝説 スクエア
山小屋で四人が四隅に座り順番に隣の人をタッチすること。
類似 民俗学者:野村純一「一寸怪の素姓」の中にある「四隅探し」
類似 山形県米沢市に伝わる米沢地方脱話集の中にある「隅のばば様」
類似 岩手県旧鱒沢村の習俗「座敷わらしの供養」
仏教における「方相」:修行の妨げにならないように、道場の四方に石や木を配置して四角く区切り、聖と俗を分ける境界をつくる。
陰陽道における「四角四堺祭」:平安京を厄災から守るため、都の周囲に四角形の結界を張るという大掛かりな呪法。
鬼門とは異界のものたちが侵入してくる場所
三点を結べば三角の境界がうまれる
風水の考えからしても大凶、よくない事がおきる。
「座敷童の供養」
岩手県下閉伊群岩泉村:屋敷を新築する際には童の人形を床下に埋める習わしがある。
人形ではなく生きた幼児を石臼などを上に乗せて圧死させ、土間などにひそかに埋めていたとも伝わっている。
なぜ嬰児殺しを?飢饉が多かったため口減らしが必要だった。
こっくりさん
降霊術の一種。
「イタチよせ」農作物が豊作か凶作かなどをイタチの霊力を借りて占う。
「地蔵つけ」「ナム地蔵大菩薩、オイノリヤーレ、お地蔵さん、オイノリモウセバ遊バセタマエ」「オ地蔵サマ、キョウ只今オ遊ビニオイデクダサイ、南無地蔵大菩薩ハラハラハラハラオ祈リモウセバ、オ笹モユラユラユラ裏道御前ノオモシロサヨ」
牛の首
「鮫島事件」
民俗学者:中山太郎著「穀神としての牛に関する民俗」
福島県南会津群大戸村の雨乞は、猿丸大夫の古跡という上の沼へ、牛の頭を投げ込むのであるが、この事は大正13年7月の大旱んいも行われた
かつて滝つぼには水神が住むとされ、牛の首から滴り落ちる血でその神域を穢すことによって、それを洗い流すために神が雨を降らせると信じられていた。
江戸時代後期の博物学者「菅江真澄」の記した紀行文「すわの海」
必ずしも「血」=「穢れ」ではないとされる。
「御頭祭」75頭もの鹿の首が神にささげられていた
銀鏡神社では「シシトギリ」という神事が行われ、数十頭のイノシシの首が奉納された。
歴史学者の喜田貞吉は獣は神への供物でもあったと著書の中で述べている。
「延喜式にも毛の蟲物(あらもの)、毛の和物(にこもの)を供物とする事が祝詩に見えている。毛の荒い獣類、毛の和かい獣類だ(人身御供と人柱)」
「S祭」
牛の首が捧げられるのは沼や滝壺等が多い、もし村の子供たちが牛の首をもって山の中に入っていく大人たちを見たら好奇心から自分も行きたいと言い出すだろう。子供がいたずらに水辺に近づけば落ちて溺死する可能性もある、その戒めとして。
「牛の首に近づいてはいけない。真相を知った子供はその恐ろしさから、皆死んでしまうのだから。」
コトリバコ
2チャンネル洒落怖より2005年に投稿。
子取り箱、女性や子供にだけ禍いを齎す強力な呪物。
1860年代後半から1880年代の前半にかけて作られている。
作り方☆
初めに木材を絡み合わせて容易に蓋を開けられないようにパズルのような箱を組み立てます
次に箱の中を雌の畜生の血で満たします
そのまま一週間放置し、血が乾き切らないうちに蓋を閉めます
そして間引いた子供たちの身体の一部を箱の中にいれます
その子供の年齢で箱に入れる部位は変わってきます。
生まれたばかりの子は、臍の緒と第一関節のところまでの人差し指
それから臓物から搾られた血液
七歳までの子供は人差し指の先と腑から搾った血。
十歳までの子となると人差し指の先のみ
コトリバコに封入される子供の人数によって呼び名がかわる
一人「イッポウ」二人「ニホウ」三人「サンポウ」四人「シホウ」五人「ゴホウ」六人「ロッポウ」七人「チッポウ」
人数が多いほどコトリバコの力は増大する。ただ七人以上を箱に入れることは絶対にしてはいけない。
あとはコトリバコを呪物と気付かれないように呪いたい相手に送る
コトリバコの管理方法
女子供を絶対に箱に近づけない
暗く湿った場所に安置
年を経るごとに呪力は弱くなる
「摂魂」
飛頭蛮、あるいは体外離脱体験