generated at
分解しながら別な流れを作る



2022/2/5にハイデガーの『根拠の本質について』を読んでいた。
久住哲は大学時代、辻村先生の訳をWordで手打ちで写経した。

その文章をScrapbox上で並び替え、構造化しながら読んでいた。
だいたい一文ずつ区切る。
主文を定めて、副文をその下にぶら下げる。
Scrapboxでよくなされる箇条書きの書き方で構造化していった。
ほぼ元の文章をまだ書き換えていないが、言葉を付け足したりはした。
例えば、ぶら下げた副文が主文のどの部分を補足しているのかを明示したりした

当然、縦長になってくるし、話の区切れも見えてくるので、どこかで別ページへの切り出しをする。

すると、当然、元のページの文脈は滅茶苦茶になる。

ページはどんどん切り出されてゆく。
文脈はどんどん分からなくなる。

そこで、元のページには話の流れを補完する自分の文章を書き足していった。

その文脈を補完する文章ってどういう感じか?
例えば、こんな感じだ
hr
>しかし、ライプニッツの真理は命題的な真理性であった
>もっと根源的な根源的真理としての非腹蔵性をハイデガーは示す
>これは「オンティッシュな真理性」となづけられ、次に述べられる「オントローギッシュな真理性」と区別される
>オントローギッシュな真理性は、存在を概念として把握することではないよ~という話が次に来る。
>ただ、ハイデガーはこういう問題が豊かさをも意味しているという。
hr
上でリンク(タグ)になっているのは、別ページに切り出した文章である。
7ページ分の話のまとまりを別ページにして
それらのつながりを超ざっくり文章にしている
文章になっていない部分もある

元々、こういうやり方で本を読むときは、ただ分解だけしていた
別な流れを作って流れを保存するということはしてこなかった。

するとどうなったか。

元の文脈がただただ荒らされて、位置づけのはっきりしていない細かい断片が沢山残されるのみだった。

久住哲は、「話の流れは書籍に残されているから、いいじゃん」と思っていた。
しかし、そうであれば、流れを再現するためにはまた本を読み返す必要が出てくる
これは当たり前といっちゃ当たり前であり
「そうだよ本を読み返しなさいよ」と言われそうだが

自分がそのときつかんだ流れを書いておくと、すばやく流れが再現できてよろしいと気づいた。

あと、読み返すと
根源的真理ってオンティッシュな真理?オントローギッシュな真理?それとも両方根源的だが、片方はursprünglicher(より根源的)なの?
などと疑問が浮かんできたりしてよい。