>そもそも、「仏教徒というのは『覚り』を求める人々だ」という見方は固定観念にすぎないのではないかと私は思っています。「何を言ってるんだ。仏典を読めば、『覚り』を得ることが仏教徒の目標だとされていることは明らかじゃないか」と思う方もおられるかもしれません。しかし、仏や神に敬虔な信仰を抱いたり、儀式や祭りや呪術に携わったり、現世利益を願ったりして仏教に関わった大多数の人々は、「覚り」を求めたわけでもそのための瞑想修行を行ったわけでもありません。彼らは仏教徒ではないことになるのでしょうか。
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仏教との関係 |